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阿倍嶋麻呂

日本の奈良時代の貴族 ウィキペディアから

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阿倍 嶋麻呂(あべ の しままろ)は、奈良時代公卿中納言阿倍広庭の子。官位は正四位下参議

概要 凡例阿倍嶋麻呂, 時代 ...

経歴

聖武朝天平12年(740年従五位下叙爵。天平19年(747年)従五位上、天平感宝元年(749年)に侍従に叙任される。この間の天平20年(748年元正上皇崩御の際には養役夫司を務めている。

孝謙朝では右中弁兼侍従を務めたほか、天平勝宝4年(752年伊予守に任ぜられ、同年大仏開眼師迎引となる。

天平勝宝9歳(757年藤原仲麻呂紫微内相に就任するのと前後して正五位下に叙せられると、天平宝字3年(759年従四位下左大弁に叙任されるなど藤原仲麻呂政権下で要職を務めながら順調に昇進し、天平宝字4年(760年)に参議に任ぜられ公卿に列す。天平宝字5年(761年)には正月に従四位上、同年3月には正四位下に叙されるも、3月10日卒去。最終官位は参議正四位下。

人物

天平勝宝3年(751年)左京五条三坊に居住していたが、近江国甲可郡蔵部郷(現在の滋賀県甲賀市甲賀町)の墾田21町および野地3町を、銭230貫で大倭国高市郡にあった弘福寺の大修多羅衆に売却した記録が残っている[3]

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

出典

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