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阿部定高

武蔵岩槻藩3代藩主。阿部家宗家3代。阿部重次の長男。従五位下、備中守。子に六丸 ウィキペディアから

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阿部 定高(あべ さだたか)は、武蔵岩槻藩の第3代藩主。阿部家宗家3代。

概要 凡例阿部 定高, 時代 ...

来歴

寛永12年(1635年)、第2代藩主・阿部重次の長男として生まれる。慶安4年(1651年)に父・重次が江戸幕府第3代将軍・徳川家光に殉じたため、家督を継いで第3代藩主となる。このとき、弟の三浦(阿部)正春に新田1万6000石(大多喜新田藩)、従兄で大多喜藩主(当時岩槻藩の支藩に近かった)の阿部正令(正能)に6000石を分与したため、岩槻藩の所領は9万3000石となった。11月17日に日光山御造営奉行に任じられ、12月29日に従五位下・備中守に叙位・任官される。

慶安5年(1652年)7月24日に正令が新田6000石を定高に返還したため、岩槻藩は再び9万9000石となる。明暦3年(1657年)の明暦の大火で焼失した江戸城二の丸の普請奉行も務めた。

万治2年(1659年)1月23日に死去。享年25。このとき、家臣の小倉政光が殉死している。

定高には次男の作十郎(正邦)がいたが、前年に生まれたばかりだったため、家督は弟の正春が継ぐこととなった。

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