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青木才次郎
日本の実業家、政治家 ウィキペディアから
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青木 才次郎(あおき さいじろう、1880年(明治13年)12月21日[1] - 1954年(昭和29年)12月6日[2])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・龍間[1][3][4]。
経歴
茨城県西葛飾郡、のちの猿島郡五霞村[1](現五霞町)で、先代・青木才次郎の長男として生まれる[1][3][4]。私立錦城中学校(現錦城学園高等学校)を経て[5]、明治法律学校を修了した[1][2][4]。1919年(大正8年)家督を相続し才次郎を襲名した[1][3][4]。
青木組を組織して土木建築請負業を営み[5]、茨城土木工業社長、水戸商工会議所議員などを務めた[1][2][3][4]。
また、水戸市会議員、同参事会員、茨城県小作調停委員、同治水委員会委員、同耕地整理組合長などを歴任した[1][2][4]。
1924年(大正13年)補欠選挙[6]で貴族院多額納税者議員に互選され、同年5月3日[7]に就任し1925年(大正14年)9月28日まで在任[2]。さらに、1932年(昭和7年)にも互選され、同年9月29日[8]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任し、貴族院議員を通算2期務めた[2]。在任中は交友倶楽部に所属した[2]。
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脚注
参考文献
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