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風間信吉
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風間 信吉(かざま しんきち、1850年(嘉永3年10月[1])- 1923年(大正12年)2月15日[2])は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)。
経歴
武蔵国足立郡上村(埼玉県足立郡上村、北足立郡上村、上平村、上尾町を経て現上尾市)出身[3]。1873年(明治6年)上京し法学を学び、1877年(明治10年)代言人となる[3]。1886年(明治19年)3月、京橋区会議員に選出され、翌年のコレラ流行の際には義捐金を寄付した[3]。その後、東京府会議員、同市会議員、所得税調査委員、徴兵参事員などを歴任した[4]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では東京府第3区から出馬し当選[1]。弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた[1]。
東京市会議員として同市水道常設委員であったため、1896年(明治29年)1月、雨宮敬次郎の不正鉄管事件(日本鋳鉄疑獄)に連座し[2]、市会議員の山中隣之助、同星松太郎と共に収賄容疑で収監されたが[2][5]、3名は罪証不十分のため不起訴となった[5]。同年12月、弁護士を廃業した[2]。その後、春木座 (株) 相談役を務めた[2]。
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脚注
参考文献
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