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馬橋隆二
日本の弁護士、政治家 (1918-2000)。大宮市長 ウィキペディアから
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馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年(大正7年)8月31日[1] - 2000年(平成12年)5月16日[2])は、大宮市長(第13代 - 第15代)。弁護士。
経歴
埼玉県大宮町出身[1]。1942年(昭和17年)明治大学法学部卒[1][2]。卒業後は海軍に入る[1]。戦後の1948年(昭和23年)二級事務官吏銓衡に合格し[3]、運輸省に入る[3]。一方で高等試験司法科試験にも合格した[1]。1950年(昭和25年)に退官し、弁護士として開業した[1]。その後、埼玉県弁護士会長、日本弁護士連合会理事を務め[1]、1978年(昭和53年)、大宮市長を5期務めた秦明友の辞職に伴う市長選挙に立候補。大宮市長に初当選、以来3期務めた。
市長在任中は1期目に「大宮市総合振興計画第二次基本計画」を策定[1]、前任者の革新市政を緩やかに継承しつつ保守市政に転換させた。市制施行40周年にあたる1980年(昭和55年)には「大宮市民憲章」が制定された[1]。この他1982年(昭和57年)には東北・上越新幹線が大宮駅から暫定開業し、1985年(昭和60年)の上野駅への延伸開業まで大宮駅はその始発駅となった[1]。その後は、自治医科大学の附属第二病院の建設構想を受け、1983年(昭和58年)に建設地として誘致する事を表明し、大宮市医師会(現・大宮医師会)による建設反対運動により「循環器専門の病院」とする事で合意して、1989年(平成元年)9月に「自治医科大学附属大宮医療センター(現・自治医科大学附属さいたま医療センター)」として開院した。
1990年(平成2年)まで大宮市長を在任し、翌1991年(平成3年)に勲三等瑞宝章を受章した[2]。他に大宮市名誉市民に推挙された[2]。2000年(平成12年)死去。墓所はさいたま市大宮区の曹洞宗大宮山東光寺にある。戒名は「大宮院殿緑山法隆居士」。
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脚注
参考文献
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