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馮涵清

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馮涵清
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馮 涵清(ふう かんせい)は、中華民国満州国の政治家。汁青

概要 馮涵清, プロフィール ...

事績

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『満洲建国十年史』(1942年)

最初は華北各省の地方法院で役職に就いた。後に北京政府陸軍総執法処秘書長、同処長を歴任する。次いで京奉鉄路局に転任し、総務処処長、同局長をつとめた。さらに、交通総司令部執法処処長にも任命されている。

1931年民国20年)に満州事変(九・一八事変)が発生すると、馮涵清は関東軍の支持により、奉天省実業庁庁長に任命された。翌1932年大同元年)3月9日、満州国が正式に成立し、翌10日、馮は満州国国務院の司法部総長に起用された[1]1934年康徳元年)の満洲帝国成立とともに司法部が改組されたが、引き続き司法部大臣として留任している。

1937年(康徳4年)5月7日、馮涵清は司法大臣から退任[2]。同月中に満州重工業開発株式会社副総裁となり、また満州国協和会中央委員も委嘱された[3]1942年(康徳9年)11月、東亜経済懇談会(会長:小倉正恒)満州本部長として来日した[4]

満州国崩壊直後の1945年8月下旬、満洲重工業開発総裁・高碕達之助に馮涵清は同社副総裁として随従し[5]、ソ連のザバイカル戦線副司令官である大将ミハイル・コワリョフと会談した[6]。最終的な馮の行方は不詳である。

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帝国弁護士会上野精養軒で司法部総長歓迎会を開催した。馮から左へ枢密院原嘉道大審院牧野菊之助
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参考文献

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