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上野精養軒
東京都台東区の上野恩賜公園内にある西洋料理店 ウィキペディアから
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上野精養軒(うえのせいようけん)は、東京都台東区の上野恩賜公園内にある老舗西洋料理店で日本におけるフランス料理店の草分け。築地精養軒の後身。明治期には国内外の王侯貴族や名士達が馬車で駆けつけるなど、鹿鳴館時代の華やかな文明開化を象徴する存在であった。夏目漱石や森鷗外の文学作品にも登場する[3]。株式会社精養軒によって運営される。
本店のある上野公園内の博物館などには、系列店を出店している。かつては国鉄の食堂車を運営する業者のひとつで、日本食堂株式会社(NRE)発足時には出資者の一つとなった[4]。
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沿革
- 1872年(明治5年) - 三条実美や岩倉具視の援助により、東京府築地に「西洋館ホテル」創業[3]。
- 1873年(明治6年) - 西洋館ホテル、「精養軒ホテル」と改称(築地精養軒)。
- 1876年(明治9年) - 欧米視察より帰国した岩倉具視の勧めにより、創業者北村重威が上野公園開設に伴い、園内の食事処と社交の場を併せ持つレストランとして支店となる上野精養軒を不忍池畔に開業[3]。
- 1918年(大正7年) - 株式会社精養軒を設立。
- 1920年(大正9年) - 神殿を新設し、結婚式場の先駆となる[3]。
- 1923年(大正12年) - 築地本店が関東大震災による焼失に伴い、上野精養軒が本店機能を果たすようになる[3]。
- 1938年 - 日本食堂株式会社が発足、株式の2割を出資する[4]。
- 1949年(昭和24年) - 精養軒ホテルベーカリー部門が独立(→後の神田精養軒)。
- 1963年(昭和38年)6月25日 - 株式公開。
- 2022年(令和4年)- 創業150周年。
- 2023年(令和5年)
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系列店舗
レストラン
軽食・カフェ
その他
- 1913年(大正2年)、宮城県宮城郡松島町の「松島パークホテル」(県所有)の運営を開始したが、戦時中に大日本帝国海軍にホテルが接収され営業停止。戦後占領期には進駐軍が使用し、1952年(昭和27年)に返還されたが、ホテル営業には復帰せず仙都国際観光が運営を引き継いだ。1969年(昭和44年)に焼失。
- 1923年(大正12年)、宮城県仙台市東一番丁の弥生軒跡に「仙台精養軒」を開業。1930年(昭和5年)に芭蕉の辻の七十七銀行本店跡に移転し、カフェー部を新設した。1969年(昭和44年)に仙台の老舗酒造の勝山企業に売却した。
- 山梨県南都留郡富士河口湖町の精進湖畔で「精進ホテル」を営業していたが(夏季のみ)、2008年3月に富士急行に売却した 。
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関連項目
- 神田精養軒
- 神戸精養軒 - かつて上野精養軒でも修業した井上康司が料理長、現在代表を務める神戸のレストラン。2015年には「ひょうごの匠」を受賞している。
- 相鉄ローゼン - 旧 横浜精養軒。1957年に精養軒・相鉄不動産・相模鉄道・日本麦酒の出資で設立され、相鉄文化会館・横浜髙島屋・横浜ステーシヨンビル(旧 横浜駅西口駅舎)で食堂・宴会場・結婚式場などを経営。1998年に相鉄ローゼンの完全子会社になり、相鉄ローゼンに吸収。
- 東都のれん会
- 喜劇 とんかつ一代 - 川島雄三監督による1963年公開の映画。精養軒をモデルにした「青竜軒」が登場する。
- 太刀山峯右エ門 - 元大相撲力士で第22代横綱。1937年2月に史上初の還暦土俵入りを上野精養軒で開催した。
- 孫文 - 中華民国の革命家、政治家。上野精養軒にて中華革命党結成大会を開催した[6]。
- 落語協会 - 東京の寄席に出演する芸人が所属する最大手の団体。1924年2月25日に上野精養軒で発会式を開催[7]、2024年2月25日に百周年記念式典を同じ上野精養軒で開催した[8]。
- 根津財閥
脚注
外部リンク
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