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高橋昭雄 (野球)
日本の野球選手、指導者 (1948-2022) ウィキペディアから
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高橋 昭雄(たかはし あきお、1948年6月8日[1] - 2022年9月7日)は、埼玉県出身のアマチュア野球選手、野球指導者である。ポジションは捕手。旧姓は佐藤[2]。
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来歴・人物
大宮工業高校では、捕手として1965年秋季関東大会県予選決勝に進むが、大宮高に敗退。卒業後は東洋大学に入学。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、3位2回が最高成績であった。大学1年上に会田照夫、細川昌俊がいた。
大学卒業後に社会人野球の日産自動車に入社するが、僅か1年で退団した[1]。
1972年から23歳という若さで母校の東洋大学の監督に就任した[1]。1970年代は駒澤大や中央大が強く、東都大学野球リーグ戦では例年2位に甘んじていた。
1976年の秋季リーグで、松沼雅之投手 - 達川光男捕手のバッテリーで初の1部優勝を遂げた[3]。東都大学リーグ通算最多の542勝、リーグ優勝18回(春秋連覇も含む)、全日本大学野球選手権大会優勝4回、明治神宮野球大会優勝2回の成績を残し、達川光男、松沼博久・松沼雅之兄弟、清水隆行、今岡真訪、大野奨太、鈴木大地らのプロ野球選手を育成した[1]。指導者人生で教え子が総勢979人いる。 1986年の日米大学野球選手権では監督も務め[4]、第2回世界大学野球選手権大会でも監督を務めた[5]
著書に「TOYOの熱血 "生涯青春"を貫く名将の軌跡」がある。著書では異体字の「髙橋 昭雄」名義。
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脚注
関連項目
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