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高田露
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高田 露(たかだ あきら、嘉永7年8月13日[1](1854年10月4日) – 大正4年(1915年)2月19日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)。

経歴
肥後国託麻郡春日村[3](現在の熊本県熊本市西区)出身。熊本藩士の家に生まれ、藩校時習館で竹添進一郎に学んだ[2]。その後、大阪に出て開成所や兵学寮で学んだ[4]。1874年(明治7年)に台湾出兵に従軍した[2]。帰国後は民権党を結成し、評論新聞記者・近事評論記者として自由民権を主張した[4]。1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、宮崎八郎らとともに協同隊を組織して西郷軍に加わった。西郷軍の敗北とともに捕えられたが、やがて出獄を許された。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し当選。当選回数は合計で4回を数えた。
脚注
参考文献
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