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鷺 (鴻型水雷艇)

日本海軍の水雷艇。鴻型の7番艇 ウィキペディアから

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(さぎ)は、日本海軍水雷艇鴻型の7番艇。艦艇名としては隼型水雷艇」に続いて2代目。

さらに見る 艦歴, 要目(竣工時) ...
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艇歴

1935年(昭和10年)11月22日、と命名され[2]、水雷艇に類別[3]1936年(昭和11年)5月20日に播磨造船所で起工。1937年(昭和12年)1月30日進水。同年7月31日に竣工し、呉鎮守府籍、第11水雷隊に編入された[4]

日中戦争では、揚子江遡行作戦、華北及び華南沿岸作戦に従事[1]1938年(昭和13年)9月8日(7日[5])、武穴下流で触雷し損傷を受けた[6]

1941年7月25日、軽巡洋艦2隻と水雷艇「鷺」、「」で第五艦隊が編成された[7]

太平洋戦争開戦後、北方哨戒活動、海上護衛作戦に参加[1]。1941年12月17日に小笠原方面の対潜作戦強化のため厚岸を出発し、12月26日に父島に進出した[8]。1942年1月8日、横須賀に帰着[9]。1月26日、厚岸に進出[9]。2月1日、アメリカ軍がマーシャル諸島を空襲。それを受けて同日「鷺」や軽巡洋艦2隻などは厚岸を出撃し哨戒線についた[10]。2月8日、「鷺」は横須賀に帰着[10]。3月11日から13日は釧路へ帰投する第三哨戒隊[11]の誘導を行い、3月24日から3月27日は駆逐艦「沖風」とともに対潜作戦に従事した[12]。4月10日、「鷺」は第五艦隊から除かれ第一海上護衛隊に編入された[13]

1943年(昭和18年)8月31日、南シナ海で米潜水艦の雷撃を受け損傷[1]1944年(昭和19年)11月8日、高雄からマニラへ航行中、比島ボナリオ岬西南西で米潜水艦「ガンネル」の雷撃により沈没[1]1945年(昭和20年)1月10日に除籍。

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歴代艇長

艤装員長
  • 本倉正義 少佐:1937年4月10日[14] -
水雷艇長
  • 本倉正義 少佐:1937年7月31日[15] - 1938年8月23日[16]
  • 菅原六郎 少佐:1938年8月23日[16] - 1938年12月15日[17]
  • (兼)山口達也 少佐:1938年12月15日[17] - 1939年1月10日[18]
  • 井上規矩 少佐:1939年1月10日[18] - 1939年3月6日[19]
  • 柳瀬善雄 大尉:1939年3月6日[19] - 1940年10月15日[20]
  • 松本正平 大尉:1940年10月15日[21] -

脚注

参考文献

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