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鹿野勇之進

日本の海軍軍人、政治家、華族 ウィキペディアから

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鹿野 勇之進(かの ゆうのしん、1851年10月8日嘉永4年9月14日) - 1914年大正3年)4月7日[1])は、日本海軍軍人政治家華族海軍中将正四位勲二等功三級男爵貴族院議員。

経歴

信濃国松代藩士鹿野外守泰敬の子[2]明治4年(1871年)9月、海軍兵学寮5期)に入学。1879年(明治12年)9月、海軍少尉任官。1885年(明治18年)9月、「筑波分隊長となり、海軍兵学校教授兼生徒分隊長、「扶桑」分隊長、海軍大学校副官海軍参謀部第1課員などを経て、1890年(明治23年)10月、海軍少佐に昇進。

1891年(明治24年)4月、「松島」回航事務取扱委員、同副長、練習船干珠艦長、横須賀水雷隊攻撃部司令などを歴任し、日清戦争では「西京丸」艦長として出征した。1895年(明治28年)1月、海軍大佐に進級。同年6月、「武蔵」艦長に就任し、「八重山」「須磨」「浪速」「富士」の各艦長、横須賀鎮守府参謀長、横須賀海兵団長などを経て、1903年(明治36年)7月、海軍少将に進み佐世保港務部長兼佐世保予備艦部長に就任し日露戦争を迎えた。

1906年(明治39年)5月、横須賀港務部長兼横須賀予備艦部長に異動。1907年(明治40年)3月、海軍中将となり馬公要港部司令官を勤めた。同年9月、男爵の爵位を授爵し華族となる。1909年(明治42年)12月に待命となり、1911年(明治44年)4月17日、予備役に編入[3]1914年(大正3年)3月1日に後備役となる[4]

1912年(明治45年)3月30日、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]、死去するまで在任した[1][5]

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栄典

位階
勲章等
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脚注

参考文献

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