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黒沢幸一
日本の社会運動家、政治家 ウィキペディアから
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黒沢 幸一(旧字体:黑澤 幸一、くろさわ こういち、1902年(明治35年)10月11日[1] - 1977年(昭和52年)7月2日[1][2])は、昭和期の社会運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
栃木県河内郡上三川町の農家に生まれる[1]。1924年、日本大学専門部法律科を卒業した[2][注 1]。
卒業後は家業に従事し、労農運動に加わる[1]。労農党栃木県連合会の結成や、日本大衆党栃木県連合会の結成に加わり、小作争議の指導を行う[1]。宇都宮市会議員も務めた[2]。1932年、阿久津村事件の首謀者として検挙され懲役3年、また1936年の争議でも検挙され懲役6ヵ月に処せられ服役した[1]。
戦後、日本社会党に入党し、同党栃木県連書記長、同会長、栃木県地方労働委員会会長、栃木機械製作所総務部長などを務めた[1][2]。1953年4月、第26回衆議院議員総選挙に栃木県第一区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。その後、日本社会党栃木県本部顧問となった[1]。
脚注
参考文献
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