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TSV1860ミュンヘン

ドイツのサッカークラブ ウィキペディアから

TSV1860ミュンヘン
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TSV1860ミュンヘンドイツ語発音: [ˌteːʔɛsˈfaʊ ˌʔaxtseːnˈhʊndɐt ˈzɛçtsɪç ˈmʏnçn̩])は、ドイツバイエルン州ミュンヘンに本拠地を置く総合スポーツクラブサッカー・ブンデスリーガでは、1965-66シーズンに優勝した古豪。

概要 原語表記, 愛称 ...

約2万人の会員を有する国内最大のスポーツクラブの一つである[1]サッカー部門が特に知られているが、それ以外にもバスケットボールロッククライミングボクシングボウリング陸上競技レスリングサイクリングスキーテニス体操ウォータースポーツなどのスポーツ部門を有する[2]。クラブのトレードマークにライオンが使われており、Die Löwen(ライオン)の愛称で親しまれている[2]

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歴史

要約
視点

1848年7月15日ミュンヘン市内のパブで前身となる「ミュンヘン体操クラブ」が創設された[1]。同クラブは短い活動期間の後に活動を禁止されたが12年後の1860年5月17日に活動を再開し、1898年に「トゥルンフェライン・ミュンヘン1860」と改称した[1]。サッカー部門は1899年3月6日に創設され3年後に最初の試合が行われた[1]

1960年代中盤に入るとマックス・メルケル監督の下で最盛期を迎え[1]1963年に創設されたブンデスリーガには同じミュンヘンを本拠地とするバイエルン・ミュンヘンを抑えて初年度から参入。1963-64シーズンにDFBポカールで優勝すると、UEFAカップウィナーズカップ 1964-65では決勝でウェスト・ハム・ユナイテッドFCに敗れたものの準優勝という結果を残した[3]。国内リーグにおいても1965-66シーズンにリーグ優勝を果たしたが、1970年代以降は下部リーグに低迷した[1]

1994-95シーズンにブンデスリーガ1部に復帰を果たすと[2]、10シーズンに渡り1部に定着[2]1996年にはDFBハーレンポカールドイツ語版で優勝し、UEFAカップ1997-98への出場権を獲得すると2回戦に進出[1]。1999-00シーズンにはバイエルン・ミュンヘンとのダービーマッチにおいて2連勝するなど好調を維持し4位でシーズンを終えUEFAチャンピオンズリーグ 2000-01予選ラウンドへの出場権を獲得[1]。3次予選でイングランドのリーズ・ユナイテッドAFCに敗れたためUEFAカップ2000-01へと回ったが、1回戦でチェコのFKドルノヴィツェ、2回戦でスウェーデンのハルムスタッズBKを破り3回戦へ進出した[1]。翌2000–01シーズンにはUEFAインタートトカップに出場し準決勝へ進出した[1]

この当時には元ドイツ代表トーマス・ヘスラーやブンデスリーガ得点王となったマルティン・マックスらを擁していたが、2002-03シーズン終了後にヘスラーとマックスが退団すると2003-04シーズンは下位に低迷し[4]、17位という成績で2部に降格した[5]

2005年にバイエルン・ミュンヘンと共にホームスタジアムをミュンヘン・オリンピアシュタディオンからアリアンツ・アレナへ移転した[6]。2005-06シーズンはブンデスリーガ2部においても13位と低迷したが、新スタジアム効果により2部4位に終わった2004-05シーズンの2万人弱や現状1部での最後のシーズンとなった2003-04シーズンの2万8000人強を大幅に超える、ブンデスリーガ2部で1位となる4万2000人弱の平均観客動員を記録した。なお、このシーズンのTSV1860ミュンヘンの平均観客動員数はブンデスリーガ1部を含めても8位に入る好調さであった。

その後もブンデスリーガ2部に定着をしており[1]、2005–06シーズンと2007–08シーズンのDFBポカールでの準々決勝進出が目立った成績となっている[7][8]

しかし、2016-17シーズンは16位となり3部3位とになったSSVヤーン・レーゲンスブルクとの入れ替え戦にも敗れ、1993年以来24年ぶりに3部へ降格。会長・CEOが引責辞任した[9]。その後3部でのプレーに必要なライセンス費用の支払いを大株主が拒否したこと[10]から、6月9日にアマチュアリーグであるレギオナルリーガ(4部リーグ)へ降格処分を受けた[11]。またホームスタジアムであるアリアンツ・アレナの使用契約を2017年7月12日付で解約し[12]、オリンピアシュタディオン使用期に並行してホームスタジアムとしていたグリュンヴァルター・シュタディオン英語版に本拠を戻した。

2017-18シーズンにレギオナルリーガ(4部リーグ)で優勝し、ブンデスリーガ3部に昇格した[13]

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タイトル

国内タイトル

1965-66
1941-42, 1963-64
1963
  • ガウリーガ・バイエルン: 1回
1941, 1943
1979
  • バイエルンリーガ: 3回
1984, 1991, 1993
2017-18

国際タイトル

1964-65

過去の成績

要約
視点
さらに見る シーズン, ディビジョン ...
出典[14]

欧州の成績

1964-2000

さらに見る シーズン, 大会 ...

2000-

さらに見る シーズン, 大会 ...
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現所属メンバー

2024年7月22日現在[15]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

さらに見る No., Pos. ...
監督
  • スイスの旗 マウリツィオ・ジャコバッチ
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歴代監督

  • オーストリアの旗 マックス・メアケル 1963-1966
  • ドイツの旗 ハンス・チルコフスキ 1970-1972
  • ドイツの旗 ルディ・グーテンドルフ 1973-1974
  • オーストリアの旗 マックス・メアケル 1974-1975
  • ドイツの旗 エックハルト・クラウツン 1978-1979
  • ドイツの旗 エーリヒ・ベーア 1983
  • ドイツの旗 ベルント・パツケ 1983-1984
  • ドイツの旗 ヴェルナー・ローラント 1992-2001
  • オーストリアの旗 ペーター・パクルト 2001-2003
  • ドイツの旗 ファルコ・ゲッツ 2003-2004
  • オランダの旗 ジェラルド・ファネンブルグ 2004
  • ドイツの旗 ルドルフ・ボマー 2004
  • ドイツの旗 ライナー・マウラー 2004-2006
  • ドイツの旗 ベルンハルト・トラレス 2004
  • オーストリアの旗 ヴァルター・シャッハナー 2006-2007
  • ドイツの旗 マルコ・クルツ 2007-2009
  • ドイツの旗 ウーヴェ・ヴォルフ 2009
  • ドイツの旗 エーヴァルト・リーネン 2009-2010
  • ドイツの旗 ライナー・マウラー 2010-2012
  • ドイツの旗 アレクサンダー・シュミット 2012-2013
  • ドイツの旗 フリートヘルム・フンケル 2013-2014
  • ドイツの旗 マルクス・フォン・アーレン 2014
  • オランダの旗 リカルド・モニズ 2014
  • ドイツの旗 トルステン・フローリング 2015
  • ドイツの旗 ベンノ・モールマン 2015-2016
  • ドイツの旗 ダニエル・ビエロフカ 2016
  • ドイツの旗 コスタ・ルニャイッチ 2016
  • ドイツの旗 ダニエル・ビエロフカ 2016
  • ポルトガルの旗 ヴィトール・ペレイラ 2017
  • ドイツの旗 ダニエル・ビエロフカ 2017-2019
  • ドイツの旗 オリバー・ビール 2019
  • ドイツの旗 ミヒャエル・キョルナー 2020-2023
  • スイスの旗 マウリツィオ・ジャコバッチ 2023
  • ギリシャの旗 アルギリオス・ジャンニキス 2024-
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歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

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その他のスポーツ

陸上競技

陸上競技部門はクラブの中で最も多くの成功を収めている[16]。部門内には競技コースと「フィットネス・レーヴェン」コースの2種類があり、競技コースは夏季オリンピック世界陸上競技選手権大会ヨーロッパ陸上競技選手権大会といった国際大会に多くの選手を送り出している[16]。一方、子供を対象にした「フィットネス・レーヴェン」は健康促進を目的とし、バレーボールバドミントンなどの簡単なレクリエーション、フィットネス体操など様々なプログラムを実施している[16]

体操とレクリエーション

体操部門はクラブの前身となる「ミュンヘン体操クラブ」が創設された1848年から存在したが2年後に活動を停止[17]、12年後の1862年に再建された[17]。これまでの歴史の中で1936年に行われたベルリンオリンピック団体総合金メダリストのイノツェンツ・シュタングルドイツ語版を輩出している[17]。フィットネスを目的としたレクリエーション部門は1975年に体操部門に統合されており、親子、青少年、女性、大人を対象としたフィットネスジム、護身術卓球などのプログラムを実施している[17]。また、競技コースには新体操も含まれており、2009年2010年2011年にバイエルン州選手権で優勝している[17]

ボクシング

ボクシング部門は1919年に創設された[18]。これまでの歴史の中で1924年のドイツヘビー級王者のルートヴィヒ・ハイマン、1936年に行われたベルリンオリンピックバンタム級銀メダリストのハンス・ツィクラルスキドイツ語版を輩出している[17]

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脚注

外部リンク

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