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1956年の大洋ホエールズ
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1956年の大洋ホエールズでは、1956年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、迫畑正巳監督の1年目のシーズンである。
概要
1953年の松竹ロビンスとの合併以降成績が下降気味になったチームは1955年に黎明期のプロ野球を支えた藤井勇監督でも低迷を救えず31勝99敗のワースト敗戦(この記録は1961年に近鉄が更新)に終わり、藤井監督が辞任して選手に戻るハプニングで、急遽迫畑監督が就任。この年は1960年初優勝時の主力となる秋山登・土井淳・沖山光利など「明大五人男」が入団。ホエールズ誕生以来の主力選手に衰えが見えたチームの中で、秋山は1年目からローテに入りチームの勝ち星の大半を稼ぐも、その一方で打線の援護に恵まれず、1953年の新人王・権藤正利は前年から続いた連敗(シーズン終了時点で21連敗。最終的に1957年に28連敗まで更新する)を止められず、0勝13敗となるなど、投手陣の好投に打線が応えられない試合が続いた。投手陣はリーグ3位の50完投を記録し、チーム防御率も3.15まで改善された。打撃陣はチーム本塁打がリーグ2位を記録したが、打率・盗塁がリーグ最下位。最終的に借金は前年の68から半減したものの優勝の巨人に40ゲーム以上、4位の国鉄に20ゲームも離されて3年連続の最下位に沈み、前年から続いた中日戦の連敗が26連敗でストップしたのが明るい話題だった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 左 | 沖山光利 |
---|---|---|
2 | 二 | 引地信之 |
3 | 右 | 青田昇 |
4 | 一 | 藤井勇 |
5 | 三 | 手塚耀朗 |
6 | 捕 | 目時春雄 |
7 | 中 | 中島執 |
8 | 遊 | 岩岡保宏 |
9 | 投 | 江田孝 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 82 | 44 | 4 | .651 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 79 | 50 | 1 | .612 | 4.5 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 74 | 56 | 0 | .569 | 10.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 61 | 65 | 4 | .484 | 21.0 |
5位 | 広島カープ | 45 | 82 | 3 | .354 | 37.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 43 | 87 | 0 | .331 | 41.0 |
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オールスターゲーム
→詳細は「1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
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