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1957年の大映ユニオンズ
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1957年の大映ユニオンズでは、1957年シーズンの大映ユニオンズの動向をまとめる。
この年の大映ユニオンズは、松木謙治郎監督の2年目のシーズンである。開幕直前に高橋ユニオンズと合併して、大映ユニオンズと名称を改めたが、このシーズンオフに、毎日オリオンズと合併し、毎日大映オリオンズとなり、この名称のチームは1年のみとなった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 佐々木信也 |
---|---|---|
2 | 遊 | 与儀真助 |
3 | 三 | 坂本文次郎 |
4 | 左 | 安居玉一 |
5 | 一 | 加藤晃朗 |
6 | 右 | 枝村勉 |
7 | 捕 | 保坂幸永 |
8 | 投 | 森口哲夫 |
9 | 中 | 渡辺光明 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西鉄ライオンズ | 83 | 44 | 5 | .654 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 78 | 53 | 1 | .595 | 7.0 |
3位 | 毎日オリオンズ | 75 | 52 | 5 | .591 | 8.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 71 | 55 | 6 | .563 | 11.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 56 | 73 | 3 | .434 | 28.0 |
6位 | 近鉄パールス | 44 | 82 | 6 | .349 | 38.5 |
7位 | 大映ユニオンズ | 41 | 89 | 2 | .315 | 43.5 |
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オールスターゲーム1957
→詳細は「1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
- 2月25日 - パ・リーグオーナー会議が開催、「今シーズンは大映、高橋両球団の合併により7球団制でスタートする」の声明が発表、大映・永田雅一オーナーは「うちが高橋を吸収することで3年間の球団運営で抱えた負債はうちが処理する」と発表し、高橋ユニオンズは大映スターズに吸収合併となる。新球団名は「大映ユニオンズ」[2]。
- 10月13日 - 後楽園球場で行われた毎日オリオンズとの21回戦・22回戦ダブルヘッダーで連敗。6位の近鉄パールスと並ぶ可能性が消滅し、リーグ最下位(7位)が確定。シーズン前に大映オーナーの永田雅一から出されていた「今シーズンの最下位球団を他を合併させ、翌年からパリーグを6球団で運営しよう」という提案での合併対象になることが確実になる。
- 11月28日 - 大映ユニオンズと毎日オリオンズの合併が正式に発表。チーム名は「毎日大映オリオンズ」(通称:「大毎オリオンズ」)となる。
選手・スタッフ
表彰選手
出典
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