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上田忠彦
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 2015年4月15日)は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。京都府出身。
経歴
元日本代表サッカー選手釜本 邦茂氏と同じ、京都市立太秦小学校でサッカーを始める。市立蜂ヶ岡中学校、京都商業高等学校(現、京都学園高等学校)から法政大学へと進み、新日本製鐵に加入。日本代表としても12試合に出場し7得点を記録した。現役時代はヘディングの強さが特徴のFWで、1970年のアジア大会では釜本邦茂と2トップを組んだ経験もある。
現役引退後は京都市の京都J-マルカフットボールクラブの代表者で、サッカーの指導者。また、京都クラブユースサッカー連盟(U-15)の監事も務めていた。2007年からはJ2担当のJリーグマッチコミッショナーに就任した。
所属クラブ
個人成績
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1970年8月2日 対韓国戦(クアラルンプール)
- 日本代表初出場:1970年3月15日 対日本代表B戦(国立競技場)
- 日本代表初得点:1970年8月10日 対シンガポール戦(クアラルンプール)
試合数
- 国際Aマッチ 13試合 7得点(1970-1971)
出場
得点数
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脚注
参考文献
外部リンク
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