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荒井公三

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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荒井 公三(あらい こうぞう、1950年10月24日 - 2020年12月27日[要出典])は、日本の元サッカー選手、日本代表選手広島県佐伯郡能美町(現江田島市)出身。

概要 荒井 公三, 名前 ...
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来歴

広島工業高校3年時の1968年全国高等学校サッカー選手権3位[1]。ユース日本代表にも選出され第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)出場。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者で[2]、多くが日本サッカーリーグ(JSL)に進み、各チームの主力選手として活躍した[1]。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。

所属した古河電工でも日本代表でも1970年代の主力選手の一人として活躍。所属チームでは若き古河を象徴するダイナミックなMFとして守備を引き締め永井良和奥寺康彦らと1976年、古河電工念願の日本サッカーリーグ初制覇、天皇杯制覇の二冠、翌1977年JSLカップ制覇などに貢献した[3]。ロングパス、ロングシュートに威力を発揮、人にも強く、センターバックとしてもプレーした[1]

日本代表には1970年サウサンプトンFC来日試合Cマッチに19歳で初出場。国際Aマッチをなかなか行えない時代であったが、以降1977年まで、国際Aマッチ47試合に出場し4得点を挙げた。これは同学年では藤島信雄64試合に次ぐもので、その他を含めると123試合で日本代表としてプレーしている[1]

古河電工では守備的な仕事が多かったが、代表では攻撃的MFとしても活躍した[4]

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所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 47試合 4得点(1970-1977)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...

得点数

さらに見る #, 年月日 ...
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外部リンク

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