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1983年のロードレース世界選手権

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1983年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第35回大会となる。

1983年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1982 翌年: 1984

シーズン概要

1983年の500ccクラスは、ホンダフレディ・スペンサーヤマハケニー・ロバーツの二人のためだけに用意されたような一年となった。全12戦で行われたこのシーズンで、両者は毎レースで激しいトップ争いを繰り広げ互いに6勝ずつを挙げた。結果的にこの二人のみで優勝を分け合う形となり、最終戦までチャンピオン争いがもつれる歴史的なシーズンとなった。

まずはスペンサーが開幕から3連勝を飾り、前半の6戦中4勝を挙げて、タイトルに向けて好スタートを切った。一方のロバーツはシーズン序盤こそ躓いたが、中盤以降は調子を取り戻しスペンサーを猛追。しかし第11戦スウェーデンGPでスペンサーが6勝目を挙げてロバーツとのポイント差を5に拡げ、最終戦サンマリノGPでロバーツが優勝したもののスペンサーは2位でフィニッシュ。この結果わずか2ポイント差でスペンサーが逃げ切り初タイトルを獲得した。この時点でスペンサーは21歳8ヶ月であり、2013年マルク・マルケスに破られるまでロードレース世界選手権の最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった。79年からWGPに復帰したホンダにとっても500ccクラスでの初タイトルであり、以後ホンダはWGPから改編された現在のMotoGPに至るまで中心的な役割を果たし続ける事となる。

また、絶対的王者として長年WGPの中心に居たロバーツがこのシーズンをもってWGPからの引退を表明。76~82年まで7年連続でメーカータイトルを獲得したスズキもワークス活動の休止を発表するなど、WGPの歴史の中でも大きな転換点となったシーズンでもあった。

250ccクラスは11戦で8人の勝者が生まれる混戦となったが、カルロス・ラバードがチャンピオン争いを制した。

125ccクラスではアンヘル・ニエトがタイトル争いを支配し続け、通算12個目のタイトルを獲得した。

翌年から80ccクラスに移行することが決まっていた50ccクラスにとって、1983年はクラス最後のシーズンであった。50ccクラス最後のチャンピオンの栄誉は、ステファン・ドルフリンガーのものとなった。

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