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1984年のロードレース世界選手権

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1984年のロードレース世界選手権
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1984年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第36回大会となる。

1984年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1983 翌年: 1985
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1984年のロードレース世界選手権

シーズン概要

前年度にケニー・ロバーツを破り、史上最年少(当時)でチャンピオンを獲得したフレディ・スペンサーを中心に展開するというのが大方の予想であったが、スペンサーはホンダの新しいV4ワークスマシンNSR500の初期トラブルとシーズン序盤の怪我のために思わぬ苦戦を強いられ、更にシーズン中スポット参戦したアメリカの国内レースで負傷しシーズンの終盤3戦を欠場するなど、タイトル防衛に失敗することとなった。このようにスペンサーはシーズンを通し様々な問題に悩まされたが、サーキット特性に合わせ4気筒のNSR500と3気筒NS500を使い分け、その両方のマシンで優勝するなど速さを見せつけ、最終的にはシーズン最多の5勝を挙げた。

代わってタイトル争いをリードしたのはヤマハの新しいエースライダーとなったエディ・ローソンであり、4回の勝利と4回の2位、更には「ステディ・エディ」のニックネームにふさわしくノーポイント0回、全戦4位以上でフィニッシュする堅実性も発揮し、WGPフル参戦2年目にして初の500ccクラスのタイトルを獲得した。

その他では、スズキのワークス活動撤退で去就が注目されていたランディ・マモラが第3戦スペインGPからホンダで参戦し3勝を挙げてランキング2位に入る活躍を見せ、レイモン・ロッシュがキャリアハイとなるランキング3位となるなど、ローソンを除けばホンダ勢が上位を占めるレースが多くなり、ホンダが2年連続でメーカータイトルを獲得した。また、ワイン・ガードナーが終盤4戦からの途中参戦であったにもかかわらずランキング7位に食い込み、76~77年にタイトルを連覇したバリー・シーンが今シーズンを最後に現役を引退した。

250ccクラスでもヤマハに乗るフランス人クリスチャン・サロンが、リアル・ロータックスに乗るマンフレッド・ヘルヴェの猛追を退けてチャンピオンに輝いた。

125ccクラスのアンヘル・ニエトは6勝を挙げ、2戦を残して通算13個目のタイトルを手に入れた。

前年までの50ccクラスに代わってこの年から新設された80ccクラスでは、ステファン・ドルフリンガーが初代チャンピオンとなった。

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