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コスモ石油四日市FC
かつて存在した日本のサッカークラブ ウィキペディアから
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コスモ石油四日市FC(コスモせきゆよっかいちエフシー)は、日本サッカーリーグ(JSL)、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)にかつて在籍していた社会人サッカークラブである。
概要
元々大協石油四日市サッカー部として三重県四日市市で活動していたが、1984年にコスモ大協に改称。その後、会社が1986年に丸善石油と合併しコスモ石油となったのに伴い、チーム名もコスモ石油サッカー部に変更された。
1980年に大協石油として1シーズンJSL2部に在籍したが、同年で東海リーグに降格。翌1981年にJSL2部への早期復帰を目指し、鎌田光夫(メキシコオリンピック日本代表)を監督として招聘したがしばらく足踏み、1985年に地域リーグ決勝大会で山雅クラブ(現・松本山雅FC)などを下して悲願の昇格。実に5年を要した。鎌田は1989/90シーズンで監督を当時まだ現役選手であった杉本真に譲り、総監督としてサポートにまわった。
1996年に将来のJリーグ参戦を念頭とし、チーム名に本拠地四日市市を被せ「コスモ石油四日市FC」(通称、コスモ四日市)と改めた。同年の天皇杯では前年度覇者である名古屋グランパスエイトを1-0で破り存在感を示したが、四日市市がJリーグ支援に難色を示した上、スタジアムの整備も充分にできなかったことから同年を最後にチームは解散している。
コスモ石油は2018年7月に三重県を本拠地とするサッカーチームであるヴィアティン三重とスポンサー契約を締結した[1]。ただし、四日市市は同チームのホームタウンには含まれていない。
- 本拠地
- 四日市中央緑地陸上競技場、三重県営鈴鹿スポーツガーデン球技場。
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成績
リーグ戦
天皇杯
- 出場10回
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タイトル
リーグ戦
- 東海社会人サッカーリーグ1部:5回
- 1975年、1981年、1982年、1983年、1985年
カップ戦
- 全国地域リーグ決勝大会:2回
- 1979年、1985年
歴代監督
在籍した主な選手
脚注
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