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川崎製鉄水島サッカー部

かつて存在した日本のサッカークラブ、ヴィッセル神戸の前身となったクラブ ウィキペディアから

川崎製鉄水島サッカー部
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川崎製鉄水島サッカー部(かわさきせいてつみずしまサッカーぶ)は、かつて存在した日本サッカークラブ。川崎製鉄水島製鉄所(現・JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区)のサッカー部として1966年に創部し、1988年からチーム名を川崎製鉄サッカー部(かわさきせいてつサッカーぶ)に改めた。通称は川鉄(かわてつ)もしくは水島(みずしま)ないしは双方を合わせた川鉄水島(かわてつみずしま)。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸の前身となったクラブであるが[1] 、水島製鉄所のある岡山県で活動していた。

概要 川崎製鉄水島サッカー部, 原語表記 ...

また、OB有志が結成したチームとしてリバー・フリー・キッカーズ(RFK)があり、Jリーグに加盟するファジアーノ岡山FCの母体(源流・発祥)となったクラブ である[2]

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概要

川崎製鉄水島製鉄所(現在のJFEスチール西日本製鉄所倉敷地区)のサッカー部として1966年に創部。1978年に中国サッカーリーグへ昇格。1980年に中国リーグで初優勝し、全国地域サッカーリーグ決勝大会に初めて出場したが、グループリーグで敗退した。

1981年は全国社会人サッカー選手権大会に初めて出場して大会初勝利も挙げたが、2回戦で電電関東(現:大宮アルディージャ)に敗れた。同年の地決は三菱化成黒崎(現:ギラヴァンツ北九州)などを破って決勝ラウンドへ進んだが、決勝ラウンドは最下位に終わった。1982年および1983年に岡山県サッカー選手権大会で優勝した。

1985年、中国リーグで5度目の優勝。地決はグループDを2戦2勝の成績で決勝ラウンドに進出。決勝ラウンドは2勝1敗の2位の成績で規定により1986年からの日本サッカーリーグ(JSL)2部への昇格が決まった。

1986年からJSLが廃止される1992年までJSL2部に在籍し、最高順位は1990年-91年シーズンの7位。JSLカップは初出場初勝利(1回戦:TDK(現:ブラウブリッツ秋田))を挙げた1986年と1989年以外はいずれも初戦で敗退した。

1992年以降はジャパンフットボールリーグ(JFL)に参加。1995年1月1日兵庫県神戸市へ本拠地を移し、親会社となる川崎製鉄からも離れてヴィッセル神戸となり、企業クラブとしての歴史に幕を下ろした。

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歴史

※傍系クラブの歴史に関しては後節を参照

戦績

年度所属順位勝点試合得点失点JSL杯天皇杯監督備考
1966秋季岡山県3部2位--末永直
1967春季岡山県2部6位
1967秋季6位
196811位
1969岡山県3部A優勝
1970優勝順位決定戦優勝
1971岡山県2部4位
19728位
19732位小林守
1974岡山県1部6位
19754位
19763位
1977優勝宇野昇
1978中国5位14145452526-1
19793位1814824301515
1980優勝2014923301416
1981優勝22149414217251回戦敗退
1982優勝21141013391821-中木秀雄
19833位1811743241591回戦敗退
1984優勝2414112143934-
1985優勝1914752361521郡晴己
1986-87JSL2部・西12位61422101630-142回戦敗退1回戦敗退
JSL2部・上位1363122939-10
1987-88JSL2部・西8位1414626211921回戦敗退1回戦敗退
JSL2部・上位5141310830-22
1988-89JSL2部・西12位814167815-71回戦敗退-
JSL2部・上位142021081522-7
1989-90JSL2部8位493014794723242回戦敗退
1990-917位4930154113741-41回戦敗退
1991-928位4530129931238-準々決勝敗退
1992JFL2部3位351811253217151回戦敗退エルシオ・ミネリ・デ・アビラ
19935位1810 (3延長 0PK)8 (0延長 1PK)302372回戦敗退郡晴己
1994JFL8位3013 (2延長 2PK)17 (1延長 2PK)3646-102回戦敗退

天皇杯

  • 出場8回(川崎製鉄水島・川崎製鉄で出場した回数)
年月日試合会場スコア対戦相手観客
611981年12月19日1回戦1-3●松下電器 (奈良県1部)
631983年12月17日1回戦3-1●松下電器 (関西)
661986年12月20日1回戦3-0●日産自動車 (JSL1部)
671987年12月19日1回戦1-5●トヨタ自動車 (JSL1部)
711991年12月14日1回戦0-1〇全日空サッカークラブ (JSL1部)
1991年...2回戦1(PK4-2)1〇マツダ (JSL1部)
1991年...準々決勝1-2●日産自動車 (JSL1部)
721992年12月5日1回戦0-3●清水エスパルス (Jリーグ)
731993年12月5日1回戦2-4〇同志社大学
1993年...2回戦2-1●横浜マリノス (Jリーグ)
741994年12月4日1回戦2-1〇清水エスパルス (Jリーグ)
1994年...2回戦3-1●京都パープルサンガ (旧JFL)

タイトル

リーグ戦

さらに見る 年度, 氏名・ポジション ...

傍系クラブ

要約
視点

リバー・フリー・キッカーズ

概要 リバー・フリー・キッカーズ, 原語表記 ...

概要(RFK)

故障などにより川崎製鉄水島サッカー部より通知を受けて離脱した後も水島でサッカーを継続していきたい(本クラブである川鉄水島への復帰を含む)と望む人員および、逆に同部への移籍を望みながらも実力等の面からそれが果たせない人員の受け皿として、川崎製鉄水島サッカー部のOB有志によって1975年に結成された。通称は英略称となるRFK。

その後、川崎製鉄水島サッカー部にて引退や故障を理由に戦力外となった選手を受け入れる実質的な下位チームとして機能した(そのため水島2軍とも称された)がチームそのものの設立理由を要因とした目的と方針により、長らく岡山県リーグに留まった。

1995年のヴィッセル成立においては、有志チームである(川鉄本体の経営から外れていた)事を理由に倉敷市水島にとどまる事となる[注 1] が、その後もヴィッセルよりの退団選手や調整者を受け入れ続けた。また川鉄水島がヴィッセルに改組するために水島に残さざるを得なかった、市民支援や地域に根付いていた年少者の育成システムなどを守るために、RFK側がこれらを受け継いでいる。この歴史の流れから岡山県周辺域においてはヴィッセルと並び、川鉄水島の流れを受け継ぐチームのひとつと見なされている。

2003年に同チームを中核としてファジアーノ岡山FCが発足し、これに伴い川鉄水島から続いたヴィッセルのOBチームおよび調整チームとしての役割を終える。以降の歴史はファジアーノ岡山FCを参照のこと。

戦績(RFK)

タイトル(RFK)

さらに見る 年度, 氏名・ポジション ...

ピナクル倉敷フットボールクラブ

岡山県倉敷市に在するスポーツ少年団のサッカークラブチーム。元JFE倉敷フットボールクラブ

概要(ピナクル)

1989年、川崎製鉄水島製鉄所が地元倉敷市水島地区への社会還元(メセナ事業)として、子会社である水島ゼネラルサービス(のちJFE西日本GS)を介して立ち上げた、川鉄サッカースクールを源流とするスポーツ少年団であり、川鉄水島のヴィッセル転換前においてはジュニア・ユースチームとしても機能していたクラブ。もともとが地元である水島地区への社会還元事業としての意味合いが強く、子会社運営であったことなどから、川鉄のヴィッセル転換後も水島に残留[注 1] した。

水島残留後も、川崎製鉄水島サッカー部(ヴィッセル神戸)やリバー・フリー・キッカーズ(ファジアーノ岡山)の出身者がコーチとして選手児童らを指導している。積極的にかかわっている指導者としては黒川俊博高木功など。

2002年、企業主体である川崎製鉄の合併によりJFE倉敷フットボールクラブに名称変更。2013年、運営主体であるJFEホールディングスが本クラブの運営から手を引くことを発表し、本クラブの指導者らが新団体を立ち上げてJFE西日本GSから事業を引き継ぐ形でピナクル倉敷フットボールクラブへと転換する。

ハジャスフットボールクラブ

岡山県倉敷市に在するスポーツ少年団のサッカークラブチーム。「ハジャス」とは、英語と韓国語の複合語(HAJAXS)で、「さあ行くぞ!」の意味。失敗を恐れず羽ばたいて欲しいとの願いが込められている。

概要(ハジャス)

設立の契機は、川鉄サッカースクール(現・ピナクル倉敷フットボールクラブ)OBから中学進学後、部活動以外でも練習の場を求める声が上がったことにより、川崎製鉄水島サッカー部OBの花田雄二が、1999年4月、当時の2年生以下で正式発足した。 練習場は、JFEスチール広江グラウンドで、コーチ陣には、山下健二姫野眞吉兼本正光ら、川崎製鉄水島サッカー部のOBが名を連ねている。 クラブ発足以降、県ユース選手権大会などの大会で優勝を重ね、中国地方でも有数の実力チームに成長。青山敏弘ら多数のJリーガーを輩出している。

出身者(ハジャス)

川鉄鋼板サッカー部

概要 川鉄鋼板サッカー部, 創設年 ...

概要(川鉄鋼板)

かつて岡山県倉敷市に在した実業団サッカー部。1972年2月、川鉄鋼板玉島工場(現・JFE鋼板倉敷製造所)が操業開始したのを機に、従業員で結成。1973年、岡山サッカーリーグ3部に加盟し活動した。1976年シーズンをもってリーグを退会している。

戦績(川鉄鋼板)

年度所属順位
1973岡山県3部C9位
1974岡山県3部B7位
1975岡山県3部B?位
1976岡山県3部D7位

JFEスチール西日本サッカー部

JFEスチール(川崎製鉄の後身)の会社合併によって誕生した企業クラブ。JFEの企業フットボールクラブとしては川鉄水島の後身と言えるが、元は合併相手であった日本鋼管のクラブであるため、上記の傍系各クラブとは異なり人員や来歴における直接の繋がりは無い。

概要(JFE福山)

NKK福山サッカー部として創設。親会社の日本鋼管(NKK)と川崎製鉄の合併に伴って2003年にJFEスチール西日本サッカー部へ名称変更。なお、詳細は当項目を参照のこと。また、これとは別にNKK本体のサッカー部が神奈川県で活動していた(日本鋼管サッカー部、1993年に廃部)。

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所属選手

背番号変遷

さらに見る No. ...

ヴィッセル神戸移行後も神戸でプレーを続けた選手

太字はJリーグ参入後(1997年)以降もプレーを続けた選手。(岡山、年)は神戸脱退後、RFK(ファジアーノ岡山)に移行した選手。

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系譜

川崎製鉄水島サッカー部
 
 
 
 
 
 
 
 
リバー・フリー・キッカーズ
(実質下位軍 / OBチーム)
 
 
 
 
 
 
 
ヴィッセル神戸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ファジアーノ岡山
 

各チームが継承したもの

共通

赤系列のチーム・ユニフォームカラー
ユニフォームカラーは川崎製鉄が赤、ヴィッセルはJリーグ参入時は黒・白の縦縞だったが後にクリムゾンレッド、ファジアーノはワインレッド。神戸の場合は現在のメインスポンサーである楽天の影響もあるものの、3チームともに色調にほとんど差がない。

ヴィッセル神戸

人員と運営
発足当時に水島サッカー部にいた選手・運営人員は、ほぼヴィッセルに移管された。ただしRFKに移行した人員は除く。またヴィッセルへの移管後もRFKとのOBチームとしての人員交流はしばらく続き、ヴィッセル移管後にヴィッセルOBとしてRFKに転属し、そのままRFKの改組およびJリーグ昇格によってファジアーノに所属した選手・運営者も存在する。
神戸側の練習場および試合場
ヴィッセルとなる前の1994年に、神戸市中央球技場神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で各1試合の主管試合を行った。

ファジアーノ岡山FC

本拠地
川崎製鉄サッカー部は岡山県倉敷市を本拠地としていたが、JFL時代はキャパシティーの関係で岡山県岡山市の岡山県総合グラウンド陸上競技場(現在のJFE晴れの国スタジアム[注 2] [3])を主本拠としていた。ファジアーノは、この流れを受け継ぎ岡山県全域をホームタウン(本拠地)と定め、岡山県倉敷市を発祥上の本拠地、岡山市のJFE晴れの国スタジアムを活動上の本拠地としている。また津山市新見市美作市などの県北主要グランドも拠点と定めている。
本拠地市民による支援母体
水島サッカー部の本拠の位置により倉敷市地元住民による支援が存在した。ファジアーノとなった後も「市民と一緒に作っていくチーム」として同様の支援を県域住民より貰っており、岡山県内の一部自動販売機などでは売上の何割かがファジアーノの運営費に充てられるシステムが存在している。
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川鉄ダービー

要約
視点
概要 都市、地域, 初開催 ...

川鉄ダービー日本サッカークラブであるヴィッセル神戸ファジアーノ岡山FCの対戦に対して使われる呼称[4]

概説(川鉄ダービー)

1995年にヴィッセル神戸が発足してから18年、2003年にファジアーノ岡山が発足してから10年が経過した2013年に、上記の通り川崎製鉄水島サッカー部の流れを汲むとされているヴィッセル神戸とファジアーノ岡山が同じJ2リーグとなり、両チームの対戦が実現した。

その後ヴィッセル神戸がJ1リーグに復帰した一方で、ファジアーノ岡山はJ2に留まっていたため、川鉄ダービーは長い間行われなかった。しかし12年後の2025年、岡山の昇格により初めてJ1の舞台で川鉄ダービーが実施された。

特に岡山側ホームゲームにおいては、かつて川崎製鉄水島サッカー部がホームとしていた岡山県総合グラウンド陸上競技場[注 2](ファジアーノ岡山のホームスタジアム)で行われている。そのため同地でのゲームはヴィッセル神戸およびファジアーノ岡山の両チームともに、そのルーツとなる地で行われる新旧ホームクラブ対決という意味合いをも持つ。その中でも2025年7月20日に行われた岡山側ホームの試合では、命名権により川崎製鉄の後身であるJFEの名を冠する「JFE晴れの国スタジアム」での対戦となった[5]

この「川鉄ダービー」という名称は、スカパー!ハイライトなどのメディアでも使用される事がある[6][7][8]

2013年の神戸ホームの試合では「ようこそ。川鉄に縁を持つ友よ! 万感の思い胸に今日を戦おう!」と書かれた横断幕が張られ、岡山ホームとなった次の試合では「おかえり神戸!! 街は違えど我らは兄弟 歴史を共に刻み行こう」というお返しのメッセージの横断幕が張られた[9]

ホームスタジアム

さらに見る チーム名, スタジアム名 (命名権名称) ...

対戦成績・日程

   ヴィッセル神戸:2勝(1分)   ファジアーノ岡山:1勝
さらに見る 年, 開催日 ...

関連項目

脚注

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