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98NOTE

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98NOTE
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98NOTE(きゅうはちノート)とは、かつて日本電気 (NEC) が日本のみで販売していたPC-9800シリーズノートパソコン。ラップトップ機であるLシリーズの後継機[注 1]にあたる。日本で「ノートパソコン」という名詞を定着させた機種とも言われる[1][信頼性要検証]

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PC-9801N

沿革

要約
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初代機

初代機はPC-9801Nで1989年(平成元年)11月に発売された。

1980年代後半、パソコンの小型化が進む中でラップトップパソコンが登場し、特に狭いオフィスが多い日本では、机上の占有面積を減らせることが好評を博したが、携帯するにはサイズや重量がまだ大きかった[2]。1989年6月7日にセイコーエプソンが「PC-286NOTE executive」を、同月26日に東芝(後のdynabook)がJ-3100SS(通称:DynaBook)を発表した。両者とも3kg以下でA4判サイズの可搬性を備えつつデスクトップ機との互換性を持つパソコンとして、前者は「ノート型パソコン」、後者は「ブック型パソコン」と称し、従来のラップトップパソコンとは一線を画していた。前者は価格と補助記憶装置に難があったため市場での反応が薄かったことに対し、後者は20万円を切る価格で話題になった[3]。しかし、J-3100シリーズは当時普及していたPC-9800シリーズと互換性がなく、従来のパソコンユーザーからはPC-9800シリーズで同様の特徴を持つ機種が期待された[4]

1989年10月19日、NECはPC-9801N(愛称:98NOTE)を発表した。この機種は「A4ファイルサイズのPC-9801LV互換機」というコンセプトの下、約3か月という短期間で開発された。記者発表会での披露で動作しないというトラブルが発生したが、予定通り11月24日に出荷を開始し、約5か月で10万台を出荷した[5]

競合企業に後れを取ったことについて、NECはディスプレイやチップセットの小型化と軽量化に時間が掛かったと釈明した。しかし、The Computer誌は、NECの技術力の高さを踏まえると個々の技術開発は主要な問題ではなく、A4判サイズのPC-9801LV互換機というコンセプトや目標作りに出遅れたことであると指摘した[4]

PC-9801NはNEC V30を10MHzで駆動し、モノクロ8階調の液晶ディスプレイを搭載した。初期の機種からFDDを1台のみ内蔵していたが、内蔵ハードディスクのなかった当時のソフトはFDDを2台必要とするものも多かったため、フロッピーディスク (FD) の代わりに使用できる「RAMドライブ」を本体のメニューから設定できた[1]。また、NEC独自の増設RAMカードスロットを搭載し、初代機ではEMSメモリとして使用できるRAMカードを内蔵できた。

背面には独自の拡張コネクタ(便宜的に 98ノートバス とも呼ばれる)を持った。これはデスクトップ型PC-9800のCバススロットと電気的・論理的に互換しているもので、98ノートでCバス製品を使うために結線しただけの拡張ボックス PC-9801N-08(I/O拡張ユニット) も発売されていた。PC-9801N-08には一見すると4つのスロットがあるが、そのうち1つは98ノートと接続する専用スロットであり、残りの3つの拡張用スロットが利用可能[6]。98ノートと接続する専用スロットは、スロット面に向かって一番左端のスロットに固定であった[7]。この拡張バスの存在はシリーズ後半に至るまで98ノートの強みであったが、小型で可搬性を優先した98NOTE Lightで省略され、末期にはフルノートのLavieでも省略されることになる。PC-9801N-08 では、68000ボード、その増設RAMボード、PC-UXボード等オプションボード上に搭載されたCPU/DMAで動作するボード、およびI/O拡張ユニット(PC-9811L等)用インターフェースボードを除き、PC-9800シリーズ用の大部分のオプションボードを使用することが可能である[8]

基本仕様の拡充

1990年(平成2年)に登場した98NOTE SX (PC-9801NS)[注 2]80386SXを搭載しており、RAMカードスロットに増設するRAMカードは(386SX以上のCPU搭載機では)プロテクトメモリとしても使用できるようになった。この機種以降、ハードディスクドライブ (HDD) を内蔵するモデルも登場するようになった。これはPC-9800シリーズで初めて2.5インチのIDE規格のHDDを採用した例である[9]。ただし、BIOS上ではSASIと区別されておらず、当時の機種ではフォーマット時に認識する容量に制限が掛けられていた。また、この機種からディップスイッチが画面で設定できるようになり、システムセットアップメニュー(98NOTEメニュー)に統合された[注 3]。同年のPC-9801NV (V30HL/16MHz搭載)ではHDDは内蔵できなかったものの、レジューム機能に対応したため、サードパーティ製のRAMカードをHDD互換の不揮発RAMドライブとして活用できるようになった。また、セカンドバッテリーパックにも対応した。さらに1991年のPC-9801NS/Eからはオプションで外部ディスプレイ出力が可能になり、HDDが専用パック方式になるなど、PC-9801型番の時代の98NOTEに共通の設計が定まってきている。また、バッテリ駆動が可能なPC-PR150nが発売されている[11]。この年には世界初のTFTカラー液晶を搭載したノートパソコンである、PC-9801NCも発売された[1][注 4]。また、1992年からは98NOTE LIGHTと称したFDDを外付けにして小型軽量化したシリーズも展開された。その初代であるPC-9801NLはA4薄型サイズであり、従来の独自RAMカードスロットとは別に、PC-98HA (HANDY98) と同様のJEIDA4.0 (PCMCIA1.0) 規格のICカードスロットも搭載された[9]。しかし、当時のカードスロットはI/O機能を持たずメモリ系のデバイスしか使えない[9]といった欠点もあり、98NOTEでは採用が進まなかった。同年発売のPC-9801NS/T以降では独自のRAMカードスロットにI/O機能が追加され[9]、これを利用したモデムカードが存在したほか、サードパーティからはLANカードも発売された。増設用のRAMには別の専用スロットも設けられた。数か月後にはNS/T相当で小型軽量化したNS/Lも登場した。この年に登場した上位機PC-9801NAおよびNA/Cからは、i486系CPUが採用されている。これは発売当時のPC-9801型番(すなわちH98は除く)機種としては、デスクトップのPC-9801FA (486SX/16MHz) を超える20MHz版が搭載されており、一時はシリーズ最速機種となった。また、内蔵IDEのフォーマット制限も無くなり、約500MBまでHDDを扱えるようになった。

PC-9821登場後

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PC-9821Nb10

デスクトップ機でPC-9821シリーズの登場後、1993年(平成5年)のPC-9801NS/Rからは3モードFDDを搭載し、1.44MBのFDにも対応した[9]。その後は同年5月のPC-9821Neを筆頭にアーキテクチャのPC-9821化が進んだが、シリーズ名は引き続き98NOTEを名乗った。このPC-9821Neや同時期のPC-9801NX/Cからはメモリの内部増設は機種毎のメモリ専用スロットに一本化され[注 5]、独自のRAMカードスロットが廃止されてJEIDA4.1/PCMCIA2.0[12]PCカードスロットが搭載された。98NOTE LIGHTシリーズでは1994年のPC-9801NL/RからB5ファイルサイズに小型化されたが、これ以降の小型機では拡張バスコネクタやRAMドライブが省略されるようになった。同時期のPC-9801NS/Aからはプリンタポートが双方向対応の36ピンになる[9]など、コネクタ類がPC-9821時代の規格に置き換わっていった。16MB以上の増設メモリに対応したのもこの頃である。同年のPC-9821Np・NsからはJEIDA4.2/PCMCIA2.1仕様のPCカードスロットが搭載されたほか、内蔵HDDは約4.3GBまで扱えるようになった。また、Npはシリーズで初めてWindows Sound System (WSS) 相当のPCM音源を搭載した[注 6]。これ以前の98NOTEには一部の小型機を除きPCカードスロットの他に110ピンのコネクタ式の拡張バスを備えていたが、PC-9821Ne2からは廃止され、Np/Nsでは198ピン仕様のものが採用されたものの、それ以降はNf/NxおよびNaシリーズに搭載されたのみに終わっている。Ne2以前のカラーLCDモデルではすべてTFTカラー液晶ディスプレイが採用されていたが、PC-9821NdからはDSTNカラー液晶モデルも投入されるようになった。この頃までは8MHz相当の動作モードも持っていたが、やがてLowモードの設定は従来のMiddleモードに相当する386SXから486SX程度の速度になっていった。小型機ではPC-9821Ldから9821型番のカラーモデルが登場した一方で、その下位機種に相当するPC-9801NL/Aを最後にPC-9801型番の98NOTEは終息した。PC-9821型番の98NOTEは、1995年のPC-9821Nmを除いて液晶ディスプレイがすべてカラー表示可能となっている。また、同時期の上位機PC-9821Nfでは、98NOTEで初めてPentiumを搭載した。PC-9821Ne3、Nd2からはIrDAを搭載するようになった[9]。PC-9821NxやNa7以降の一部の上位機種では、OPNA互換のFM音源を搭載した機種も登場した。

Windows 95登場後

Windows 95時代になるとシリーズ名は98NOTE Lavieに、小型機は98NOTE Aileに変更された。それ以降は小型機以外でもRAMドライブが搭載されなくなり、FDD2台を前提としたソフトの利用が困難になった。1996年のPC-9821Nr15からはZVポートを搭載するようになったほか、Nr15を含む一部の上位機種ではCardBusも採用されるようになった[9]。また、98NOTEとしては初めて外部ディスプレイ出力にミニD-sub15ピン3列(VGA端子)のものが標準で装備された[9]。本体色もグレーから濃紺に変わった一方、Lowモードや40桁の表示モード、ROM-BASICの起動は廃止された。リセットボタンも無くなったが、代わりにサスペンド(レジューム)用のボタンを備えるようになり、電源のスライドスイッチと同時に入れることで強制電源オフ(長押しで再起動)が行えるようになっている。1997年からはMMXを搭載する機種も登場し、該当機種では型番の数字が3桁になっている。小型機ではPC-9821Ls150/Ls12が登場し、久々にA4薄型サイズのラインナップも復活した。おおむね1997年5月頃に発表されたシリーズからは、内蔵IDE-HDDの認識上限が約4.3GB以上に対応した[注 7]。このため、Nr13やLs150など、この時期をまたがってマイナーチェンジされた一部の機種では、枝番によって4.3GB上限の存在するモデルとそうでないモデルが混在する。ただし例外としてB5サイズの小型機PC-9821La13では後期モデルにも4.3GBの壁が残された。

NECの主力機種がPC98-NXシリーズに移行してからも、98NOTEはNrシリーズを中心に細々と新製品が発表された。1998年Windows 98登場後は、Windows 98搭載モデルもラインナップに加わった。シリーズ最終機種は1999年に発売されたPC-9821Nr300で、Windows 98モデルではSecond Editionが搭載されるようになった。2000年には搭載HDDをフォーマット上限の約8GBに変更した後期モデルも発売された。

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主な機種

以下を参照。

宣伝活動

1989年から1992年まで、メインPRキャラクターには大江千里が、テレビ・ラジオのCMや、全国の駅、空港などのシティーボード広告に起用された。テレビCMには他に小坂一也磯部弘沢たまき石井めぐみらが脇を固めた。さらに大江は「HANDY98」のテレビCMのメインも務めたほか、デスクトップパソコン (PC-9801FA/FS/FX) の雑誌および店頭広告にも起用されることになった。

製品がPC-9821系統に移行後しばらくはテレビ・ラジオのCM展開は無かったものの、モデル末期には、当時既にVALUESTARのCMに出演していた竹中直人をキャラクターに起用したテレビCMを展開。後に、竹中はPC98-NXシリーズにおいても引き続きキャラクターを務めた。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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