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CoCo (アイドルグループ)

かつての日本の女性アイドルグループ ウィキペディアから

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CoCo(ココ)は、1989年(平成元年)にフジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループである。1994年(平成6年)に解散。

概要 出身地, ジャンル ...

メンバー

来歴

フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』でアイドル養成講座の「乙女塾」から1989年9月に「EQUALロマンス」でデビュー[1]。以降、「横浜Boy Style」まで、11曲連続ベスト10入り、3枚目のシングル「夏の友達」から「Newsな未来」まで、4曲連続ベスト3入りを果たしている。

同じくフジテレビ夕方の番組から誕生した「おニャン子クラブ」解散後、特に女性グループでは「アイドル冬の時代」といわれた1990年代初頭にかけて、安定した売上で新曲をリリース、単独コンサートツアーを解散まで継続するなど活躍した。また、各メンバーは次々にソロCDデビューすると活動を平行させていた。尚、乙女塾全体としてのレギュラー番組である『パラダイスGoGo!!』と『週刊スタミナ天国』を除くと、地上波ではテレビレギュラー番組を持たなかった。

中心メンバーだった瀬能あづさがソロ活動専念を理由に、1992年5月17日の日本武道館公演を最後に脱退[2]。その際、新メンバー補充の計画もあり、ファンクラブの会員に対し応募要項、応募用紙が送付されたりしたものの結局メンバー補充は白紙となり[3]、その後1994年9月30日に解散するまで4人での活動を継続した。(瀬能とは以後もテレビ番組やコンサートにゲスト出演など共演がある)

以降は歌番組に出演する機会も限られるなかで希少なメジャーアイドルとして熱心なファンの支持により定期的に公演を続ける。1993年秋にNHKBS2でスタートした『アイドルオンステージ』でジャニーズメンバーに並んでCDデビュー済の女性アイドルグループでは実質唯一のレギュラーに抜擢。同番組では過去リリースの曲やメドレー、カバーを含めて幅広い曲目を披露する機会を得た。またトークコーナーを持つほかにファイナルコンサートの特集や最終登場回ではスペシャルメドレーを歌唱した。

解散は1994年の4月12日に記者会見を行って発表された。当日夜には担当番組を持ち、以前よりゲスト出演していた『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)の生放送で心境を語った。最終公演は8月21日の東京ベイNKホールでのコンサート。解散当日は長くレギュラーを持った『入江雅人のGo!Go!テレキッズ』(ニッポン放送)に出演し、終了後は玄関口で待ち受けるファンの前で各メンバーが挨拶をした。三浦理恵子は解散後から長期にわたりプロダクション尾木に所属、残り3人はそれから数年後、事務所を移籍した[4]

解散後も各メンバーは芸能活動を続けたが、最終メンバー4名においても全員が揃って公式の場に登場することはない。

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エピソード

  • 5人時代の頃は、テレビで唄う時の衣装は色別ものの衣装が多かったが、特別、誰が必ずこの色を着るということははっきりと決まっていなかったらしい。そのため、メンバーは毎回、ローテーションで違う色を着るというケースも少なくなく、光GENJIやかつての音松くんを演じた時のSMAPなどのようなメンバーそれぞれのイメージカラーを定着することができなかった。しかしながら、宮前(赤  )、羽田(緑  )、瀬能(青  )、三浦(ピンク  )、大野(黄  )となるパターンが割合多く、特に「ささやかな誘惑」が発売された頃にはそのパターンがイメージカラーとして定着しつつあった[5]。しかし、次作「Live Version」では、3種類の衣装が用意されていたものの、最も使用頻度の高かった衣装では瀬能(黒  )、三浦(青  )、となっており(他の3人は変更なし)、同一カラーを長期間定着することはなかった[6]
  • CoCoにはリーダーがいなかったが、年長者の宮前と羽田がそれぞれリーダー的役割を果たしていた。コンサート等での司会進行は主に2人が担当し、歌番組等でグループを代表して話す場面では羽田が、コンサートの段取り等をメンバーに説明する場面では宮前が、主にその役目を担っていた。雑誌のインタビューでも、最初に話すメンバーが宮前もしくは羽田であった[7]
  • テレビで歌を披露する時には、基本的に瀬能がセンターを務めていて、CDジャケットにおいても彼女が中央に写ることが多かった。そのため、「CoCoのエースは瀬能あづさ」というイメージが多くのファンに浸透していった[6]
  • BOMB』では解散までに半年に1回ペースで巻頭を飾っていた。しかも7回で新記録である。ソロ活動が充実してきた1992年は、1年のうち5回がCoCo・メンバーであった。
  • CoCoが1980年代最後の年にデビューし、それまでの流れを汲んだアイドルファンも多かったためコンサート(及び一部公開番組)では各メンバーパート時の「コール」や声援が非常に激しいことで知られた(後の「ヲタ芸」にもつながる)。
  • 瀬能卒業後の「メンバー補充計画」はメンバーも驚いたという。メモリアル写真集「未来はCoCoから」の中でも、「4人で泣いて抗議した」という宮前の記述が見受けられる。
  • 解散後も、宮前・大野・三浦には親交があることが確認されており、三浦と宮前はお互いのブログに度々写真を掲載している[8]
  • MEG-CDでも一部が復刻されているが、販売サイトでのアーティスト一覧では「アイドルグループ」が括弧書きで付記されている。これは、1983年に同名の男性フォークデュオ[注 1]が活動していて、同じく復刻されている同グループの唯一のアルバムが紹介されていることによる(日本コロムビアのオンデマンドCDのページにリンクしている。こちらにはアーティスト名に注釈がない)。
  • 解散後はメモリアル版CD等の発売以外にグループとしての動きはないが、2019年9月30日(解散と同日付)に「CoCo30周年を祝う会」(於:東京カルチャーカルチャー)というイベントが開催された。作詞を多く担当した及川眠子らが当時のエピソードを紹介し、宮前もゲストで登場した。

ディスコグラフィ

要約
視点

※最高位はオリコン調べ。

シングル

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アルバム

  • オリジナルアルバムは "s" から始まる単語で統一されている。
さらに見る タイトル, 発売日 ...

映像作品

DVD作品を除いていずれもVHS、LDが発売。

さらに見る タイトル, 発売日 ...

その他

シングル化やアルバム収録はされていないが、コンサートでたびたび歌われた曲が2曲が存在する。2曲とも谷山浩子の、NHKみんなのうた』で使用された楽曲である。

  • 恋するニワトリ(原曲は谷山浩子のアルバム『空飛ぶ日曜日』に収録)
  • しっぽのきもち(原曲は谷山浩子のアルバム『しっぽのきもち』に収録)
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出演

テレビ番組

ラジオ

番組を持っていた文化放送・「SUPER COUNTDOWN 50」、ニッポン放送・「伊集院光のOh!デカナイト」には新曲のタイミングでよくゲスト出演した。

CM

  • フジテレビ夏のキャンペーン 1989年
  • 森永製菓・飲料「コラカオ」 1990年秋
  • 森永製菓・「果汁グミ入りアイス」 1991年春~
  • ココストア 1991年4月~(中部地区限定) 1991年4月~1992年3月
  • 森永製菓・「森永チョコフレーク」 ラジオのみ(ニッポン放送担当番組内)
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コンサートツアー

デビュー翌年より春(年明け以降)と夏の公演を解散まで行った。
※単発イベント等は除く

さらに見る タイトル, 期間 ...

この他にファンを同行したハワイツアーもビデオや写真集撮影のタイミングで実施。ファン向けのミニライブや記念写真撮影など。

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写真集

  • 「CoCoが好きッ」1989年11月28日(フジテレビ出版)
  • 「CoCo夏メモリィ」1990年3月10日(フジテレビ出版)
  • 「超でかダンク 女子CoCo生スペシャル」1990年10月26日(集英社
  • 「Bonny,Bonnie」1991年3月25日(ワニブックス
  • 「COCO」1992年2月25日(ワニブックス)
  • 「夢はCoCoから」1992年10月28日(学習研究社
  • 「Sweet&Bitter」1994年7月25日(近代映画社
  • 「未来はCoCoから」1994年9月27日(学習研究社)

脚注

関連項目

外部リンク

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