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エルバ島

イタリアの島 ウィキペディアから

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エルバ島(エルバとう、イタリア語: Elba)は、ティレニア海にあるイタリア領の島。イタリア半島コルシカ島フランス領)の間に位置し、トスカーナ群島中最大の島である。

概要 エルバ島 Elba, 所在地 ...

ナポレオン・ボナパルトが最初の退位後に追放された地として知られる。行政上はトスカーナ州リヴォルノ県に属し、約3万人が暮らす。

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エルバ領旗

地理

ティレニア海北部に位置するが、エルバ島以北の海がリグリア海と定義されることもある。グロッセート県の海岸から20kmの所に位置し、西方にはフランス領のコルシカ島がある。シチリア島サルデーニャ島に次いで、イタリアでは3番目に大きい島である。

島民は3万人で、最大の都市は北岸のポルトフェッラーイオ。夏場は海水浴客が押し寄せる。

エルバ島を含むトスカーナ群島の島々(エルバ島、ピアノーサカプラーイアモンテクリストジリオジャンヌートリ)は、トスカーナ群島国立公園として保護されている。

歴史

この島には古代から印欧語族リグリア人Ilvates族が定住しており、島で産出するの精錬で知られていた。古代ギリシャはこの島をAithàle (Αιθάλη)、Aithàleia (Αιθάλεια)またはAithalìa (Αιθαλία)と呼んでいたが、これは古代ギリシャ語で煙に因んだものである。古代ローマでは住民であるllvatesに因みllva、中世に入りllbaおよびHelbaと呼ばれるようになった[1]

古代にエトルリア人に侵略され、その後(紀元前480年以降)古代ローマに侵略された。11世紀始めにはピサ共和国に支配され、1398年にはミラノヴィスコンティ家へ売却され、後にピオンビーノの領主の支配下となった。1544年には北アフリカの海賊(バルバリア海賊)の侵略により島は荒廃した。その後、トスカーナ大公国を支配するメディチ家によって実効支配された。島には、要塞と軍事と交易をするための海港、コスモーポリが建設された。この港は当時のトスカーナ大公コジモ1世の名を冠している。 1737年、メディチ家が断絶すると、エルバ島を含むトスカーナ大公国は、ハプスブルク家によって支配されることとなった。

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト1814年にこのエルバ島(1802年にフランス領)に追放され、「ムリーニ小宮殿」と呼ばれる小さな邸宅(現存)で299日間を過ごしたことでも有名である[2]。内陸部には「サンマルティーノ」と呼ばれる別荘もあった。[3]なおこれを種にした次のような回文は有名。:
「Able was I ere I saw Elba.(エルバ島を見るまでは、私に不可能はなかった)」

1954年にはコメット連続墜落事故の一つである英国海外航空781便墜落事故がエルバ島沖で発生している。

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行政区画

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マルチャーナ港

島はリヴォルノ県に属し8つのコムーネに分かれる。

経済・産業

ワインで有名である。

交通

トスカナ州ピオンビーノ港から、ポルトフェライオ港までフェリーで1時間ほどである。

空港

エルバ島を舞台とした作品

映画監督スタンリー・キューブリックは晩年、エルバ島のナポレオンを題材とする新作を構想中であった[4]

人物

ゆかりの人物

出典

参考文献

外部リンク

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