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ジョージ・ドーソン=デイマー (第5代ポータリントン伯爵)

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ジョージ・ドーソン=デイマー (第5代ポータリントン伯爵)
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第5代ポータリントン伯爵ライオネル・ジョージ・ヘンリー・シーモア・ドーソン=デイマーLionel George Henry Seymour Dawson-Damer, 5th Earl of Portarlington1858年8月19日1900年8月31日)は、アイルランド貴族保守党に属し、アイルランド貴族代表議員を務めた[1]。1889年から1892年までカーロウ子爵儀礼称号を使用した[1]

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第5代ポータリントン伯爵、1900年撮影。

生涯

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バニティ・フェア』1894年8月18日号におけるカリカチュアレスリー・ウォード画。

第4代ポータリントン伯爵ライオネル・ドーソン=デイマーと妻ハリエット・リディア(Harriet Lydia、1829年7月23日 – 1894年11月23日、第6代ロークビー男爵ヘンリー・モンタギュー英語版の娘)の長男として、1858年8月19日にグリーン・ストリート56号(56 Green Street)で生まれた[1]。1872年から1873年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]

1876年5月10日、クイーンズ・カウンティ民兵隊の定員外少尉に任命された[2]。1877年8月に(1876年5月10日付の扱いとして)中尉に昇進した後[3]、1878年5月15日にキャバン県民兵隊に転じた[4]。同年にスコッツガーズ第2大隊に入隊し、中尉まで昇進したが[1]、1885年9月19日に辞任した[5]。1886年1月5日、ドーセット州の副統監に任命された[6]。同年1月16日、ドーセット・ヨーマンリー連隊英語版の中尉に任命された[7]。その後、大尉への昇進を経て1894年6月23日に辞任した[8]。同1894年8月15日、中尉として予備役に編入された[9]

1892年12月17日に父が死去すると、ポータリントン伯爵位を継承した[1]。1896年3月20日にアイルランド貴族代表議員に選出され、1900年に死去するまで務めた[10]貴族院では保守党に属した[1]

1900年8月31日にクイーンズ・カウンティのエモ英語版で死去、9月6日にクイーンズ・カウンティのクールバナハー英語版で埋葬された[1]。長男ライオネル・アーサー・ヘンリー・シーモア英語版が爵位を継承した[1]

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家族

1881年10月25日、エマ・アンダルシア・フリーア・ケネディ英語版(1929年5月13日没、ナイジェル・ケネディ閣下の娘)と結婚[1]、2男3女をもうけた[11]

  • ライオネル・アーサー・ヘンリー・シーモア英語版(1883年8月26日 – 1959年7月4日[12]) - 第6代ポータリントン伯爵[1]
  • アライン・メアリー・シーモア(Aline Mary Seymour、1884年10月18日 – 1953年9月12日) - 1904年10月15日、ヴァレンタイン・ヴィヴィアン(Valentine Vivian、1948年2月1日没、ウィリアム・ヴィヴィアンの息子)と結婚、子供あり[13]
  • クリスチャン・ノラ(Christian Norah、1890年8月7日 – 1959年3月29日) - 1914年9月17日、ファーガス・ボーズ=ライアン閣下英語版(1915年9月27日没、第14代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ボーズ=ライアンと妻セシリアの三男)と結婚、子供あり[11]。1919年6月4日、ウィリアム・フレデリック・マーティン(William Frederick Martin、1947年10月6日没、チャールズ・ウィリアム・ウォール・マーティンの息子)と再婚[14]
  • ジョージ・シーモア(1892年7月30日 – 1917年4月12日) - 陸軍軍人、第一次世界大戦で戦死[11]
  • モイラ・マージョリー(Moyra Marjorie、1897年3月23日 – 1962年4月17日) - 1924年6月3日、ジェームズ・ブリンズリー・ピーター・フィッツジェラルド(James Brinsley Peter FitzGerald、1962年4月17日没、ピーター・デイヴィッド・フィッツジェラルドの息子)と結婚、子供あり[15]
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出典

関連文献

外部リンク

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