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スリー・デイズ・グレイス
カナダのロックバンド ウィキペディアから
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スリー・デイズ・グレイス(Three Days Grace)は、1997年に結成されたカナダのロックバンド。略称は3DG、またはTDG。
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概要
1992年に前身である「グラウンズウェル」が結成され、95年に解散。1997年に現在のバンド名で再結成された[1]。当初はトロントを拠点とし、ボーカル・ギターのアダム・ゴンティア、ドラムのニール・サンダーソン、ベースのブラッド・ウォルストの3人で活動していたが、2003年にバリー・ストックがリード・ギタリストとして加入し4人編成となった[2]。
同年の楽曲『I Hate Everything About You』でのメジャーデビューを皮切りに以降ヒット曲を連発[3][4]。楽曲はジュノー賞を始め数多くの賞を受賞し、バンドは着実にスターダムへのし上がっていった。2006年発表の『Animal I Have Become』は、同年のカナダ内で最も再生された楽曲としても知られている[5]。また、ボーカル:アダム・ゴンティアの歌声は唯一無二と称され、ティーンエイジャーを中心に多くの人々からの支持を受けた[6]。
しかし2013年、バンドとして人気絶頂の中突如としてアダムの脱退が発表され、ブラッドの弟であるマット・ウォルストがアダムと入れ替わる形で加入する[7]。バンドの顔というべきアダムの脱退は多くの反響を呼び、今後の活動を心配する声も上がったが、その後発表された楽曲『Painkiller』が米ロック・チャートで1位を獲得するなど大ヒットし、長年バンドが培ってきた音楽性の健在ぶりを見せつける結果となった[8]。マットはアダムに代わり、10年以上にわたってバンドを支え続けた。
その後、2024年10月に初代ボーカルであるアダムのバンド復帰が公式ウェブサイトにて発表された。同時に現ボーカルであるマットの残留も表明され、バンドはボーカル2名を含めた5人編成という異例のラインナップとなった[9]。
現在はRCAレコードに所属し、日本盤リリースはソニー・ミュージックが担当している[10]。これまで計8枚のアルバムをリリースしており、世界中での売り上げは2022年時点でアルバムとシングルを合わせて1000万枚以上を記録するとされる[11]。また、発表された初期3枚のアルバムは米国を始め、地元カナダやイギリスでそれぞれプラチナ等を獲得。さらに、ビルボードのホット・メインストリーム・ロックトラック・チャートで1位を獲得した曲の最多記録を18曲保持しており、オルタナティブ・ソング・チャートでも3曲の1位ヒットを記録している。
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メンバー
現メンバー
- アダム・ゴンティア(Adam Gontier) - リード・ボーカル (1992 – 1995、1997 – 2013、2024 – 現在) 、バック・ボーカル (2024 – 現在) 、リズム・ギター (1997 – 2013、2025 – 現在) 、リード・ギター (1997 – 2003)
- マット・ウォルスト(Matt Walst) - リード・ボーカル (2013 – 現在) 、バック・ボーカル (2024 – 現在) 、リズム・ギター (2017 – 現在) 、キーボード (2025 – 現在)
- ブラッド・ウォルスト(Brad Walst) - ベース (1992 – 1995、1997 – 現在) 、バック・ボーカル (2006 – 2023)
- アダム・ゴンティア (2017年)
- マット・ウォルスト (2023年)
- ブラッド・ウォルスト (2023年)
- ニール・サンダーソン (2023年)
- バリー・ストック (2023年)
サポートメンバー
- ダニ・ロゼノア(Dani Rosenoer) - キーボード、バック・ボーカル (2012 – 2017)

元メンバー
- フィル・クロウ (Phil Crowe) - リード・ギター (1992 – 1995)
- ジョー・グラント (Joe Grant) - リズム・ギター (1992 – 1995)
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来歴
要約
視点
1992 – 2002: 活動初期
1992年、5人組バンド「グラウンズウェル(Groundswell)」としてオンタリオ州ノーウッドで結成。当時はメンバーのほとんどが高校生だった[1][12][13]。1995年にフルアルバム『ウェーブ・オブ・ポピュラー・フィーリング(Wave of Popular Feeling)』をリリースする[14]も、同年末に解散。
97年にアダム、ニール、ブラッドの3人が中心となり「スリー・デイズ・グレイス(Three Days Grace)」として再結成した[1]。バンド名の由来についてアダムは、「切迫感を表しており、人生を変えるのにたった3日しか与えられなかったら、何かを変えることができるだろうかという問いかけ」であるとしている[13]。
当初は小さなライブ会場をはじめ、映画館の少しの空き時間でも演奏を行うなど地道な下積みの日々が続いた。そんな中、バンドはトロントで地元のプロデューサーであるギャヴィン・ブラウンと出会い、数年分制作した楽曲を渡すこととなる[1][15]。ギャヴィンはバンドに才能を見出し、調整を重ねた結果バンドのデモアルバムが完成した[注 1][1][16]。その後EMIミュージックパブリッシング・カナダに提出し、会社側がより多くの楽曲を聴きたいと反応したことで、ギャヴィンプロデュースのもと、楽曲『I Hate Everything About You』を制作。複数のレコード会社の関心を集めた後、当時のジャイブ・レコード社長バリー・ワイスにスカウトされ、同社及びゾンバ・ミュージック・グループと契約した[1][16][17]。
2003 – 2005: 1stアルバム『スリー・デイズ・グレイス』、バリー・ストックの加入
→「スリー・ディズ・グレイス (アルバム)」も参照
バンドはマサチューセッツ州ノース・ブルックフィールドのスタジオ、ロングビュー・ファームでデビューアルバムの録音を開始する。アルバムの半分はロングビューで完成し、残りはニューヨーク州ベアーズビルのベアーズビル・スタジオで行われ[16]、セルフタイトルアルバムとして2003年7月22日に発売された[1](日本盤は2003年09月25日にリリース[18])。
これに先駆け、バンドはメジャーデビューシングルとしてアルバムから上記の『I Hate Everything About You』を2003年4月28日にリリースした[16][19]。同曲はラジオでヘビーローテーションされ[20][21]、カナダ・ロック・チャートで1位を獲得。1stシングルにしてバンドにおけるカナダでの最初のナンバーワンヒット曲となった[22]。また、翌2004年に行われたMuchMusicビデオ・アワードでは最優秀ロック・ビデオにノミネートされた[23][24]。さらに、アメリカではビルボードのオルタナティブ・エアプレイ・チャートで2位、メインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで4位に達し、現在まで同曲は両チャート上でそれぞれ45週間、46週間と最長でランクインした曲として記録されている[25]。なお、プロデューサーのギャヴィン・ブラウンは同曲とビリー・タレントのデビューシングル『Try Honesty』で、2004年度のジュノー賞におけるプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[26]。
同年、アルバムから『Just Like You』が3月29日にシングルカットされ[27]、同じく収録曲である『Home』も、3枚目のシングルとして同年10月4日にリリースされた[28]。両シングルは、ビルボード・ホット100でそれぞれ55位と90位に達した[29]。このうち、『Just Like You』はオルタナティブ・エアプレイ・チャートとメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャート上でバンドがトップを飾った初の楽曲となった[30]。また、『Wake Up』も後の2005年1月10日にカナダで独占リリースされている[31]。
アルバム『スリー・デイズ・グレイス(Three Days Grace)』は、カナダ・アルバム・チャートで9位、同国のプラチナ認定を受けた他、米国ではビルボード200で69位を記録し、RIAAから2倍プラチナ認定、Recorded Music NZからゴールド認定を受け、全米での売り上げは200万枚に達した。
また、アルバム発売後新たにギタリストのオーディションが行われ、難航したものの結果的にバリー・ストックが加入。バンドは4人編成となった[13]。当時別のバンドに所属していたバリーが、マネージャーを通じて機材調整を手伝ったことが両者が知り合ったきっかけであった[2]。
その後メジャーレーベル・デビューを記念して、3DGは2003年7月から9月までトラプトのアメリカツアーにオープニングアクトとして帯同する[32]。10月から11月にかけては、ニッケルバックの「ロング・ロード・ツアー」に参加[33]。2004年からはヘッドライナーを務める「スリー・デイズ・グレイス・ワールド・ツアー」を開催した[34]。なお、バンドとしても数々の賞を受賞しており、総じて大きく飛躍する時期となった[35][36][37][38]。
2006 – 2008: 2ndアルバム『ワン・エックス』、アダムの薬物依存発症
→「ワン・エックス (アルバム)」も参照
しかし、デビューしていきなりブレイクを迎えたことでメンバーは突然の環境の変化になじむことができず、特にフロントマンであるアダムは想像を超える孤独感と疎外感[1][15]から深刻な薬物への依存症に陥った。ツアー終了後、アダムは家族やバンドメンバーなどの協力を受けながら2005年にリハビリ施設に入所。治療を受けながら現在の心情や施設での経験をもとに作詞を始め、その後無事に治療を終える[17][39]。
バンドは新たにハワード・ベンソンをプロデューサーに迎え、北オンタリオ州のコテージで2ndアルバムの制作を開始する[40][41]。コテージでの生活は3ヶ月続き、アルバムの大半がそこで完成した。アルバムは2006年6月13日(日本盤は2006年09月20日[42])にリリースされ[41]、カナダ・アルバム・チャートで2位、米国ではビルボード200で5位に達し[1]、発売初週に78,000枚の売り上げを記録しており、最終的にスリー・デイズ・グレイスにおける最大のヒットアルバムとなった[43]。また、このアルバムはカナダと米国の両方でトリプルプラチナ、英国でシルバー、ニュージーランドでゴールドに認定され、2007年にはジュノー賞におけるアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[44]。さらに、バンドはビルボードのロックアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選出された[45]。

アルバムの雰囲気は全体を通して前作以上にダークで重く、アダムの過去2年間における鬱、薬物依存、そして回復の経験が色濃く反映された仕上がりとなった。アダム自身も後のインタビューで「前作よりもよりパーソナルな部分について踏み込んだ」と述べている[46]。
収録曲の『Animal I Have Become』は、4月10日に本作のリードシングルとしてリリースされ[47]、アダムがリハビリ施設で書いた上記の詩が引用されている一つである[48]。同曲は、2006年度におけるカナダ内で最も再生されたロック楽曲となり、バンドを代表するナンバーの一つとなった[5]。また、ビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで7週間連続1位を記録しており、同年のビルボード・ミュージック・アワードではロック・シングル・オブ・ザ・イヤーを受賞した[49][50]。
その後、同年9月19日に同じく収録曲である『Pain』がシングルカットされ[51]、2007年5月7日、続く11月6日には『Never Too Late』、『Riot』の2曲も追ってリリースされた[52][53]。いずれの楽曲もメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートを初めとした音楽チャート上位にランクインするなどしており[49][54][55][56]、同年1月25日に発売されたゲームソフト「WWE 2007 SmackDown vs Raw」では、本アルバムから『Animal I Have Become』と『Riot』がゲーム内楽曲の一つとして使用された[57]。

バンドは2006年よりザ・ローリング・ストーンズのカナダ・ツアーでのサポートに抜擢され[15]、同年下半期から2007年初頭にかけてはステインド、ブレイキング・ベンジャミンと共にツアーを行った[41][58]。また、同年2月から3月にかけてはニッケルバックの「オール・ザ・ライト・リーズンズ・ツアー」のサポートも務めた[59]。その後、2008年初頭からは上述のブレイキング・ベンジャミン、そしてシーザーと共にアメリカツアーを行っており、同年8月19日にはこのツアーのミシガン州オーバーンヒルズ公演を収録したDVD『ライブ・アット・ザ・パレス 2008』がリリースされた[60]。
なおアダムは退院後、3DGのツアーと並行して北米各地のリハビリ施設、シェルター、グループホーム、拘置所で無料コンサートを行う「スリー・デイズ・トゥ・チェンジ・ツアー」を開始し、悩み苦しむ人々を鼓舞して回った[61][62]。11月には、自身のリハビリのために訪れていたトロントのリハビリ施設で、他のバンドメンバーも参加した特別公演が開催され、約250人の観客の中には患者、ラジオ局主催のコンテストの優勝者、バンドの家族や友人、そしてバンドのレコード会社の代表者などが含まれていた。また、公演後には観客からの質問に答えるトークセッションも行われた。この様子の一部は、ドキュメンタリー『Behind the Pain』にて閲覧することができる[62]。
2009 – 2011: 3rdアルバム『ライフ・スターツ・ナウ』
→「ライフ・スターツ・ナウ」も参照
2007年度のツアー中、バンドはすでに3rdアルバムに向けた作曲を進めていた[63]。その後2009年1月より本格的な制作を開始[64]。プロデューサーには前作に引き続きハワード・ベンソンが起用され、同年3月にバンクーバーのウェアハウス・スタジオでレコーディングが行われた[45][65][66][67]。

本アルバムは2009年9月22日にリリース(日本盤は当初10月21日を予定していたが、後に11月4日に変更[68][69])され[70]、ビルボード200で初登場3位とバンドにとってこれまでの最高位を記録し初週で79,000枚を売り上げ[71]、地元カナダではダブル・プラチナ、さらにアメリカでプラチナ認定を受けた。また、このアルバムは2010年度のジュノー賞でロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[72][73]。
今作における楽曲的特徴としては、アルバム制作開始前後にマネージャーやメンバーの家族といった近しい人物の病気、及び死を乗り越えた経験が反映されており、前作『ワン・エックス』までの怒りや悲観的な感情をテーマにした楽曲からより楽観的で前向きなものへ傾斜したことが挙げられる[66][74][75][76]。リリースにあたり、バンド側は「全てを乗り越えなければならなかったが、その結果がこれだ。これは新たなスタートだ。これが新しい人生だ。」と発表した[77]。また、アダムはアルバムについて「以前のレコードよりも少し希望が込められている」と述べた他[78]、バリーは「"新しい気持ち"と"困難な状況に引きずられる必要はない。良くも悪くも、君には変わる力がある"というテーマを中心に展開されている」と語っている[65]。

アルバムからのシングルとしては、2009年9月1日に『Break』が発表されたのち[45]、2010年2月9日に『The Good Life』[79]、8月3日に『World So Cold』[80]、そして2011年2月1日に『Lost in You』がそれぞれリリースされ[81]、2010年度のMuchMusicビデオ・アワードへのノミネートや、ビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャート内のトップ10にランク入りを果たすなどの好成績を残している[49][82][83][84][85][86][87]。なお、バンドは2011年度のジュノー賞におけるグループ・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされた[88]。
その後、本作のプロモーションとしてバンドは2009年11月から12月にかけてカナダで、2010年1月から2月にかけてはアメリカで計20回のツアーを行った[89]。このアメリカツアーには、ブレイキング・ベンジャミンとフライリーフが参加した[90]。また、同年秋からはニッケルバックの「ダーク・ホース・ツアー」にバックチェリーと共に参加した[91]。
2012 – 2013: 4thアルバム『トランジット・オブ・ヴィーナス』、アダム・ゴンティアの脱退とマット・ウォルストの加入
→「トランジット・オブ・ヴィーナス」も参照
2011年10月7日、RCAミュージック・グループは、アリスタ・レコードとJレコード、そしてジャイヴ・レコードの3つを解散し、これらと契約していた全てのアーティストをRCAレコードへ移籍させると発表した。これに伴い、スリー・デイズ・グレイスも同レーベルに移籍することとなった[92][93]。
2012年6月5日、金星の太陽面通過が観測された同日にバンドは4枚目となるアルバムをこの現象になぞらえて『トランジット・オブ・ヴィーナス(Transit of Venus)』と題し、10月2日にリリースすると発表した[94]。同時にスタジオでのクリップや、太陽面通過時の映像をフィーチャーした初期のプロモーション・ビデオもバンドのホームページで公開された[95]。アルバムはドン・ギルモアがプロデュースを担当し、トロントのレボリューション・スタジオで録音された[96]。これまでのアルバム制作においてバンドは通常1か月程で楽曲を録り終えていたのに対し、本アルバムでは3か月半をかけての制作がなされた[97]。ニールはアルバムについて「よりタイトで明瞭なサウンドを目指した」と述べており[96]、ナイン・インチ・ネイルズの影響を受けているともした[98]。
その後アルバムは予定通り発売され、カナダ・アルバム・チャートで最高4位を記録。ゴールド認定を受けた他、アメリカのビルボード200でも最高5位を記録し、トップ・ハードロック・アルバム・チャートでは見事1位に輝く結果となった[99][100][101]。また、アルバムは2014年のジュノー賞におけるロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされた[102]。
本作のリードシングル『Chalk Outline』は2012年8月2日にリリースされた[96]。同曲はビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで13週間にわたり1位を記録した[49]。さらに2013年1月22日、同年5月14日には『The High Road』、『Misery Loves My Company』の2枚も追ってシングルカットされ[103][104]、どちらも同チャートで1位にランクインしている[49]。
なお、今作は唯一日本盤がプレスされていない。また、9月以降のライブからサポートメンバーとしてキーボード奏者兼バック・ボーカリストのダニ・ロゼノアが参加し、ロゼノアの帯同は後述するアダム脱退後の新体制となった後も2017年まで続いた[105][106]。
2013年1月9日、バンドはウェブサイト上でアダムがスリー・デイズ・グレイスを脱退し、以降の予定されているツアーではブラッドの弟であるマット・ウォルストがボーカルを務めると発表した。同時に『Riot』、『Chalk Outline』、『The High Road』のボーカルをマットのものへ置き換えた音源も公開された[107]。以前からマットは1stアルバムと4thアルバムの楽曲制作に一部携わっており[108][109]、自身のバンド「マイ・ダーケスト・デイズ (My Darkest Days)」を率いて3DGとツアーを行うこともあった[注 2][110]。また、同日バンド側はホームページを更新し、「昨年の12月21日にアダムから健康上の理由でバンドを脱退したいという旨の手紙を受け取っており、現時点ではマットの役割は一時的なもの」であると説明した[111]。
その後、アダム自身もコメントを発表し、単に人生の新たな章を始める準備ができただけだとして「20年間進化を続けるバンドの一員として過ごし、人生に刺激を受けて前に進み、自分のやり方で進化し続けてきた末の結論」と述べた。また、健康問題は薬物によるものではないかという憶測が広がっていたものの、アダムはこれを強く否定した[7]。この発表から7日後の1月16日、バンド側は「事実を伝える必要がある」として、より詳細な一連の経緯を掲載した。昨年受け取った手紙は弁護士からのもので、12月14日付で医師からの診断書も同封されており、バンド側はそこで初めて事態を把握するに至った[注 3]。ブラッドはすぐさまアダムへ話し合いを希望するメールを送ったが、アダムは「決断は100%変わらない、スリー・デイズ・グレイスとの関係は終わりだ」と返答したという。また、アダムは脱退後の2013年1月17日にソロでステージに上がる予定を組んでおり、これに対しバンド側は「共に成長し、良い時も悪い時も一緒に過ごしながら夢を実現してきた20年来の仲間が、まるでたった一日しか知り合っていないかのように弁護士からの手紙一つでその関係を終わらせた」と強い不満を示したものの、最終的にはどちらが正しい、間違っているといったことではないとして「アダムの幸運を祈る」とコメントするにとどまった[112]。一方、アダムは健康上の問題を改めて主張。さらに、創造性の違いによる決断だったとも付け加えた上でバンドにおける現在の創作プロセスを「心の底からではなく、ラジオ局やファンのために作っている」と批判するなど、バンド側とアダム側との間に明確な亀裂が生じたことは一目瞭然であった[113]。
2013年2月1日、バンドは渦中にありながらも当初の予定通りシャインダウン、P.O.D.と共にツアーをイリノイ州で開始した[114]。公演は成功を収めたものの、ファンの間ではマットがボーカルを務めることやアダムの一連の行動に関して様々な観点からの論争が巻き起こり、以降アダムが2024年に復帰を発表するまで長らく議論の的として取り沙汰されることとなった。
マットは自身の役割について、直前にマイ・ダーケスト・デイズのギタリストであったサル・コスタがバンドを脱退したことに触れつつ、次のようにFacebookに投稿している。
なんてクレイジーな一週間だったんだろう俺自身、そしてマイ・ダーケスト・デイズのメンバーにとって、この一週間はとても感情的なものになった。サルがバンドを脱退したことは、まるでジェットコースターに乗っていて、終わりが見えてこないみたいだ。長い間一緒にツアーを続けていれば、他の人間関係と同じように絆が生まれる。そして、誰かが去っていくのであれば悲しみから怒りまで様々な感情が湧き起こるのは当然だけど、サルがバンドを脱退することを責めないでやってほしい。残念ではあるけど、彼の新しい人生と新たな挑戦が素晴らしいものになることを祈っているよ。
良い時もあれば悪い時もあるってことだな!兄であるブラッド、スリー・デイズ・グレイスの他のメンバーと共にトランジット・オブ・ヴィーナス・ツアーのステージに立てることはとても嬉しく思っている。皆と同じように、アダムが3DGを脱退したと知った時は俺もショックだった。アダム、ブラッド、ニール、バリーの4人は、俺の人生に音楽的にも個人的にも大きな影響を与えてくれたから、脱退を聞いた最初は戸惑ったけど、少し考えながら何晩か眠れない夜を過ごした後、ようやく受け入れることができたんだ。幼い頃からの夢だった兄貴と共にステージに立つということも、今回のツアーで実現したわけだしね。アダムは素晴らしいシンガー、パフォーマー、ロールモデルだと思う。俺にできることは、彼の偉大な才能を遺憾なく表現できるよう、精一杯努力することだけなんだ。彼の回復とまたすぐにステージで出会えることを心から願っている。
今週は色々なことがあったけど、マイ・ダーケスト・デイズはこれまで以上に力強くなっていることを皆には伝えておこうと思うよ!メンバーは俺の活躍を心から応援してくれているし、全面的なサポートも受けている。完成させた曲もとても楽しみだよ。ツアー中も『兄弟』のブレンド、ダギー、リル・リーディが一緒に曲作りを続けてくれるから、3枚目のアルバムのリリースも期待していてくれ!
最後に、何よりも大切なのは、これまで、そしてこれからもバンドを支え続けてくれている人たちへの感謝の気持ちだ。本当にありがとう。最近ファンになってくれた皆もどうもありがとう。これからロックを奏でる人たちにも、心からの敬意を表して!
マット・ウォルスト[115]
なお、アダムは同年3月よりソロツアーを開始し[116]、その後、2014年にスーパーグループ「セイント・アソニア(Saint Asonia)」を結成した[117]。しかし、2017年に薬物への依存症が再発。3DG脱退後に移住したテネシー州ナッシュビルの治療センターに数週間入院した。入院中には再婚相手との子供が誕生しており、以来アダムは完全に薬物を断ったとし、「近いうちに再び暗い場所に戻るつもりはない」と述べている[118]。
2014 – 2016: 5thアルバム『ヒューマン』
→「ヒューマン (スリー・デイズ・グレイスのアルバム)」も参照

2013年後半、バンドはトロントのノーブル・ストリート・スタジオでマットがボーカルとなって以来初めてスタジオアルバムのレコーディングを開始した[119]。また、2014年3月にはマットが正式にバンドの新フロントマンに就任することが発表された[120]。アルバムを制作するにあたり、プロデューサーには1stアルバムを担当したギャヴィン・ブラウンが再び迎えられ、ブラッドはインタビューで「正しい方向へ導いてくれた」とギャヴィンの手腕を称賛した[121]。
アルバム『ヒューマン(Human)』は、2015年1月26日にアルバムタイトルが公開されたのち[122]、同年3月31日(日本盤は2015年6月24日[123])に発売された[124]。本アルバムは、カナダ・アルバム・チャートで初登場2位を記録し、初週で6,700枚を売り上げゴールド認定を受けた[125]。米国では、ビルボード200で最高16位に達した他、トップ・ハードロック・アルバム・チャートで2週間1位を獲得し、2015年のラウドワイヤー・ミュージック・アワードでは、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされている[101][126][127]。
『Painkiller』は、アルバムからのリードシングルとして2014年4月1日にリリースされた[128]。同曲は、バンドがマットと共に制作した最初の楽曲であり[129]、ビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャート内で4週間連続で1位を獲得。バンドの11枚目のナンバーワン・シングルとなった[8]。同年9月30日には、『I Am Machine』がシングルカットされ[130]、同じくメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで6週間連続1位を記録し、2016年に行われたiHeartRadioミュージック・アワードでは、ロック・ソング・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[49][131]。さらに、2015年3月23日に『Human Race』、続く9月15日には『Fallen Angel』も追ってシングルリリースされ[132][133][134]、同チャート内でそれぞれ3位と6位にランクインした[49]。

今作は前作『トランジット・オブ・ヴィーナス』で見られたエレクトロニックな要素から離れ、前々作までのポスト・グランジやオルタナティブ・メタル、ハードロックのルーツを重視したサウンドへ回帰しており[135][136]、ニールはアルバムを以前よりも荒々しく攻撃的なものと評し[137]、シアトルのラジオ局99.9KISW内のインタビューでは、「メランコリックさとインパクトのある新鮮な雰囲気」であると述べた[映像 1]。
バンドは2014年の4月から7月にかけて全米ツアーを行った[138]。また、翌2015年7月から11月にかけてはアルバムのプロモーションのため、カナダと米国で、2016年初頭にはヨーロッパからロシアにかけてツアーを敢行した[139][140][141]このうちカナダ内の公演では、ヘイルストームがほとんどのショーにサポートとして参加した[142]。さらに、バンドは2016年度のジュノー賞でグループ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[143]。同年11月18日には、ファントグラムの楽曲『You Don't Get Me High Anymore』のカバーをリリースした[144]。
2017 – 2020: 6thアルバム『アウトサイダー』
→「アウトサイダー (スリー・デイズ・グレイスのアルバム)」も参照
前年度のツアー終了後、バンドは可能な限り隔離された状態で6thアルバムを制作したいと思い立ち、休暇も兼ねてオンタリオ州の田舎にあるニールの邸宅と、トロントから2時間ほど離れたブラッドの自宅で1年分の楽曲制作に取り組むこととなった[145][146]。この様子について、「ああいう環境で旅の疲れを癒して、創造性を本当に明確に感じられたのは最高だった」とニールはインタビュー上で振り返っている[145]。その後、2017年の7月からアルバムのレコーディングが開始された[147]。本作はプロデューサーに前作から引き続きギャヴィン・ブラウンと、2nd・3rdアルバムを担当したハワード・ベンソンの両名を起用しており、メンバー自身もプロデュースに加わっている。特にマットは、前作以上に深く制作に携わった[145]。また、ブラッドによれば約20曲を書きレコーディングした後、バンドは雰囲気に基づいて各トラックを選別し、アルバムに「良い流れ」を持たせるようにしたという[148]。
アルバムは2018年1月25日にタイトルが正式発表され[146]、同年3月9日(日本盤は2018年5月23日[149])にリリースされた[150]。米国では初週で17,000枚を売り上げ、ビルボード200上では24位でチャートデビューした[151]。また、2019年度のジュノー賞で本作はアルバム・オブ・ザ・イヤーとロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされ、バンドとしてもグループ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[152]。
『The Mountain』は、アルバムタイトルが公開された同日にリードシングルとして発表された[146]。同楽曲は2018年3月にビルボードのメインストリーム・ロック・ソングス・ チャートで1位に達し、ヴァン・ヘイレンと並んでチャート内での13回目の1位となった[153]。なお、ミュージックビデオには当時UFCに所属していた総合格闘家ミーシャ・シルクノフがカメオ出演している[146]。6月12日には、アルバムからの2枚目のシングルとして『Infra-Red』が発売され[154]、こちらも同チャートで1位を記録した。これにより、スリー・デイズ・グレイスはヴァン・ヘイレンの20年にわたるチャート内1位に達した回数記録を破ることとなった[30]。さらに同年11月13日、3枚目のシングル『Right Left Wrong』がリリースされ、再び同チャート内で1位獲得を成し遂げたことでまたもや記録が更新される結果となった[155][156]。なお、同曲は2020年度のSOCANアワードにおけるロック・ミュージック・アワードにも入賞している[157]。
本作は、ブリング・ミー・ザ・ホライズンが2015年に発表したアルバム『ザッツ・ザ・スピリット (That's the Spirit) 』に影響を受けたとして、再びエレクトロニックな側面が含まれる構成となった[158]。
バンドは2018年にヨーロッパと北米でアルバムリリースによるライブツアーを行ったのち、アヴェンジド・セヴンフォールドやプロフェッツ・オブ・レイジとも共同でツアーに乗り出した[159][160]。2019年3月14日には、バンドとして2019年度のiHeartRadioミュージック・アワードでロック・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した[161]。
また、2020年7月23日にゴティエの『Somebody That I Used to Know』のカバーがリリースされ、カナダのロック・チャートで7位、メインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで4位にランクインした[162]。
2021 – 2023: 7thアルバム『エクスプロージョンズ』、アダムとの和解
→「エクスプロージョンズ (スリー・デイズ・グレイスのアルバム)」も参照
2021年3月1日、バンドは公式インスタグラムで7thアルバムをスタジオでレコーディングしていることを明かした[163]。実際に制作が始まったのは2020年2月のことで[164]、ブラッドは「9曲か10曲をそれぞれ別のスタジオで別れてレコーディングした」と2020年に発生した新型コロナウイルスの感染拡大による楽曲制作の現状を語った[165]。また、ニールは楽曲について「ここ数年間に経験してきた実際の状況にインスパイアされた」と述べている[166]。
アルバムは2022年5月6日に全世界同時リリースがなされ、2023年度のジュノー賞でロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[167][168][169][170]。

本作のリードシングル『So Called Life』は、2021年11月29日にリリースされ[167]、ビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで4週連続1位を飾った[171]。また、2022年度のMTVビデオ・ミュージック・アワードにおける最優秀ロック・ビデオにもノミネートされている他[172]、2023年度のiHeartRadioミュージック・アワードではロック・ソング・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。なお、同アワードではバンドとしてもロック・アーティスト・オブ・ザ・イヤーにノミネートされている[173]。同シングル発表から3か月後の2022年2月17日には、ルーカス・ロッシとのフィーチャリング楽曲である『Neurotic』がシングルカットされ[174]、同年4月11日に『Lifetime』も追ってリリースされた[175]。楽曲は、2021年12月にEF4の竜巻がケンタッキー州メイフィールドを襲ったことを受けてその被災者へ向け制作されており、バンドは各プラットフォームを通じて竜巻救済基金及び独立学区への募金を呼びかけた[175][176][映像 2]。また、同楽曲はバンドのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャート上における17枚目のナンバーワン・シングルとなった[177]。さらに同年9月27日、アルバムからの4枚目のシングルとして『I Am the Weapon』がラジオでエアプレイされ、同チャートで最高4位に達した[49][178]。
本作のミキシングにはブリング・ミー・ザ・ホライズン、ONE OK ROCK、DIR EN GREYなどで知られるダン・ランカスターが携わっており[169]、再びザラザラとしたハードロック的なサウンドを重視したものへと仕上がった[179]。バリーはインタビューで「明日なんてないみたいに生きて、一瞬一瞬を最大限に活かすことを描いたアルバムなんだ。願わくはそれを感じてもらえたらいいね」と本作への意気込みを語った[169]。
その後パンデミックが一応の収束を見せ、音楽シーンにおけるコンサートなどが全国的に再開されたことで、2022年の夏から秋にかけてバンドも北米からライブツアーを再開した[180]。2023年の4月から5月にかけては、シャインダウンのツアーサポートも務めた[181]。このツアーの最中、4月19日のアラバマ州ハンツビル公演では、終盤にバンドの元ボーカルであるアダム・ゴンティアがサプライズで登場し、3DGメンバーと実に11年振りとなる共演が行われた[182][183]。この両者の共演はファンを中心に驚きと喜びの声が上げられ、大きく話題を呼んだ[184]。
このステージ以前には、2016年にアダムがいくつかのメンバーと連絡を今でも取り合っていることを明かし、2022年にはかねてより不仲であるとされてきたニールとの和解を公表していた[注 4][185]。さらに、アダムはバンド復帰について問われた際に前向きな見解を示しており[183]、ブラッドはアルバム発売後のインタビューで「アダムとよく会っている」と語るなど、近年はバンドとアダムの関係性に進展があったとも取れる動きが見られていた[165]。事実、この共演はしばらく前からメンバー間で計画されていたとのことで、アダムはステージ後「本当に長い間会っていなかったんだ。ここ1年くらいになって、一緒に集まってこういうことをやりたいってよく話すようになった」と経緯を語っており、緊張がありつつも素晴らしいものになったと振り返っている[186]。また、2022年6月29日にはアダム、マット、ブラッドの三人が母校であるノーウッド・ディストリクト・ハイスクールで表彰を受けており、三人はそこで数年ぶりに顔を合わせていた[12][187]。なお、アダムは移住先であるナッシュビルで公演が行われた際にもゲスト出演し、バンドと数曲パフォーマンスを行っている[188]。
しかし、ツアーではニールが足首を捻挫したことでバンドと親交の深いブレイキング・ベンジャミンのショーン・フォイストが一時代役を務め[189]、2023年10月12日に行われたノースカロライナ州シャーロットでの公演ではマットがパフォーマンス中に負傷し、最終公演となった2日後のボストン公演では、全曲通して着席しパフォーマンスを行うなどアクシデントも多く見られた[190]。
2024 – 現在: 8thアルバム『エイリアネーション』、アダム・ゴンティアの復帰と新体制「Three Days Grace 2X」

2024年に入ってからはマットの怪我もあり、バンドとして大きな動きは無く一切ライブも行われないまま長らく沈黙が貫かれていた。しかし同年10月2日、バンドは各種SNSにてアダムと共にスタジオで新曲を制作していることをほのめかすティザー・ムービーを投稿した。映像は「Three Days Grace 2X」という新しいバンドロゴで締めくくられており、アダムが3DGへ復帰するのではないかという予測が多く囁かれることとなった[191]。そしてその翌日、バンド側は正式にアダム・ゴンティアがスリー・デイズ・グレイスのボーカルとして復帰することを表明した。さらに現ボーカリストであるマット・ウォルストも引き続きバンドへ参加し、新たに5人編成で活動を行っていく方針であることも明らかとなり、新曲のリリースと今後のツアー日程も両者の意気込みと共に予告された[9][192][193]。その後の「Goldmine」上でのインタビューで、アダムは復帰へ至った経緯を改めて以下のように語った。
「 | …ベースのブラッドとは何年も前から時々連絡を取り合っていたんだけど、彼とマットはしばらく前からこのアイデアを温めていたんだと思う。2020年くらいにブラッドから連絡があって、何度か一緒にコーヒーを飲んだ後に、バンドに復帰する話が出たんだ。もちろん迷うことなく賛成したよ。彼が話し始めた時、まさにその時が来たと思った。みんな色々なことを経験してかなり成長したから、今は素晴らしい状態にあると思う。マットはスリー・デイズ・グレイスとしてアルバムを何枚も作ってきたし、僕も何枚かアルバムを作ったから、ファンのためならそれが理にかなっていると思ったんだ[194]。 | 」 |
2024年11月22日、8枚目となるアルバムからのリードシングルとして『Mayday』がリリースされた。本作は、アダムとマットが共同でボーカルを務める初の楽曲となった[195][196]。本楽曲はアルバム制作にあたり書き下ろされた最初の楽曲であり[197]、アダムは「アルバムに期待されているものがよく表せている」と満足のいった評価を下した[198]。また、カナダ・ロック・チャートでは見事10週間連続1位を達成しており[199][200]、ビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートでも1位を記録。バンドにおけるチャート上での通算18枚目となるナンバーワン・シングルに君臨した[201]。さらに、YouTubeにて公開されたミュージックビデオの総再生回数は現在900万回以上にも及んでいる。
同楽曲のリリース直後、ニールはラジオ局WRIFにて、アルバムがほぼ完成に近づいていると報告した[202]。また、ラジオ上では「年末までにアルバムの作曲を終え、2025年1月にアルバムをレコーディングして、その年の後半にリリースしたいと考えている」とも語られた[203]。
2025年4月下旬、YouTube上に投稿されていた過去の楽曲のミュージック・ビデオ及びオーディオのいくつかのサムネイルに棒人間のイラストが付け加えられた[204]。その後、5月8日に8枚目のアルバムタイトルが『エイリアネーション(Alienation)』となることが明かされ、8月22日にリリース予定であることも発表された[205]。その翌日には、『Apologies』がシングルカットされ[205]、楽曲はカナダ・ロック・チャートとビルボードのメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで1位を獲得した[200][206]。
6月20日、アルバムからの3枚目のシングルとして『Dominate』がリリースされ、同年開催のサタデー・ナイト・メイン・イベントでの引退を発表したWWE所属のスーパースター、ビル・ゴールドバーグの公式トリビュート映像に使用された。翌7月25日には、『Kill Me Fast』が続いてシングルカットされた。
バンドは2025年2月25日にセヴンダストとディスターブドの「ザ・シックネス25周年記念ツアー」に帯同する形で、アイダホ州ナンパにてライブツアーを再開した[207](アダムが正式なメンバーとしてステージに上がるのは、実に12年振りの光景となった[208])。なお、現在のステージでは基本的にアダムがボーカルを務めていた時期に制作された過去の楽曲が演奏される際、マットがリズム・ギター及びバック・ボーカルを担当し(『Chalk Outline』ではキーボードも演奏する)、反対にマットがボーカルとなって以降の楽曲では、アダムがそれを担うという方式が取られている[209]。一方で、『Just Like You』や『Riot』、『I Am Machine』など互いにパートを分けてリード・ボーカルを取る楽曲も一部存在する[209]。同年6月からはヴォルビートとカナダ各地を回るツアーが敢行され、今夏にはブレイキング・ベンジャミンと共同ヘッドライナーを務めるツアーもスタートした。
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ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
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来日公演
現在、スリー・デイズ・グレイスが日本で行った公演は以下の一つのみである。
- 2007年7月2日 原宿アストロホール
メディア出演
- 2004年10月8日公開の映画『Raise Your Voice(邦題:ヒラリー・ダフのハート・オブ・ミュージック)』ではバンド名義でカメオ出演し、楽曲『Are You Ready』と『Home』を演奏した[226]。後年のインタビュー上でアダムは出演について振り返っており、監督からステージから観客席にいるヒラリーの手を握る様指示されたものの、「クールじゃないと思ったので拒否した」と語った[注 5][227]。
- また、TVドラマ『ゴースト 〜天国からのささやき』でも第31話「The Curse of the Ninth」に主人公夫妻が訪れるライブハウスの出演バンドとして登場している。本国での初回放映は2006年11月17日。
脚注
外部リンク
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