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伊東静雄

日本の詩人 (1906 - 1953) ウィキペディアから

伊東静雄
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伊東 静雄(いとう しずお、1906年明治39年)12月10日[1] - 1953年昭和28年)3月12日)は、日本詩人京大の友人と同人雑誌『呂』を創刊し、毎号、詩を発表した。保田與重郎を通して萩原朔太郎の知るところとなり、その詩を激賞された。作品に『わがひとに与ふる哀歌』(1935年)、『夏花』(1940年)など。

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伊東静雄

来歴

要約
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長崎県北高来郡諫早町(現 長崎県諫早市)出身[1]。魚屋の丁稚の子として生まれる[2]。父の惣吉は、魚屋の後に家畜仲買業で成功し、木綿商に転業した[1]。四男の静雄は、兄たちの早世により嗣子として裕福に育った[3]

長崎県立大村中学(現:長崎県立大村高等学校)から旧制佐賀高等学校(現:佐賀大学)を経て[1]京都帝国大学文学部国文科に学んだ[1]。在学中の1928年、大阪三越の懸賞募集児童映画脚本で童話『美しき朋輩達』が一等当選となり[1]、原作者「壁 静」名義で映画化された(監督・清水宏、脚本・水島あやめ、制作・松竹[4][5][6]

1929年に京都帝国大学を卒業すると[1]、公立学校教員となり、大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)教諭となった[1]。旧制住吉中学時代には、『古事記』を教えていたことと、その流行を追わないスタイルから「コジキ」というあだ名をつけられていた名物教師だったというエピソードが残っている。

詩作は大学卒業の頃より始めた。1932年(昭和7年)、同人誌『呂』を創刊[1]。のち『呂』を離れて、1933年頃から同人誌『コギト』に専念する[1]。1935年(昭和10年)10月5日、処女詩集であり代表作となる『わがひとに与ふる哀歌』を発行し[1]萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛を受け一気に名声を高めた[注釈 1]。伊東は、日本浪曼派の代表的な詩人となり、評論では保田與重郎とならんで、同時代に多大な影響を与えた。また、日本古典文学やリルケの造詣の深さに由来する、浪漫的で日本的な叙事詩に耽美性を加えた伊東の作風は、少年期の三島由紀夫にも多大な影響を与えた[注釈 2]。伊東も三島の作品を見てその才能を買ったが、のちに直接面会してそりが合わず、三島を「俗人」と切り捨てた[2]

1940年(昭和15年)には第二詩集『夏花』を刊行[1]。1941年(昭和16年)には三好達治中原中也立原道造らとともに、詩同人誌『四季』同人となる[1]蓮田善明とも交流があり、蓮田が最後に出征する際、蓮田の乗った列車を大阪駅で見送っている。

1943年(昭和18年)9月5日に第三詩集『春のいそぎ』を刊行[1]。1947年(昭和22年)に第四詩集『反響』を刊行[1]。1948年、大阪府立阿倍野高等学校に転勤[1]。詩作活動に耽る傍ら、地方公務員の教員としても勤務し続け、生涯教職から離れなかった。

1953年(昭和28年)3月12日、肺結核のため、大阪府河内長野市の国立大阪病院長野分院(現:国立病院機構大阪南医療センター)で死去[1][7]。死後まもなく『反響以後』が刊行された。戒名は文林院静光詩仙居士。

忌日に近い3月末の日曜日には、菜の花忌が営まれ[8]、諫早市の伊東静雄顕彰委員会によって、優れた現代詩を賞する伊東静雄賞が設けられている[8]

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家族

  • 父・伊東惣吉(-1932) ‐ 旧姓・榎並(徴兵逃れのため伊東家に養子入り)。魚屋の奉公人を経て、家畜の仲買で財を成し、綿糸商のほか、さまざまな商売に携わった。地元では諫早家に次ぐ高額所得者であったが、小学生の静雄は「豚博労の子」と嘲笑された。知人の無尽の保証人となったことから、死後静雄に借財を残した[9][3][4]
  • 母・ハツ ‐ 旧姓・内田。夫が負債を残したまま死亡したことから諫早の家を売却し、静雄の大阪の家などを転々とした[3][9]
  • 弟・伊東寿恵男
  • 妻・花子 ‐ 旧姓・山本。奈良女高師出身の堺市立高等女学校の地理の教師で、静雄の下宿先の同居人の友人だった。1932年に結婚し、一女一男を儲け、1936年より黒山高等実践女学校に勤務。静雄はこの結婚を父の残した一万円の負債を返済するためと公言した[10]
  • 長女・坂東まき ‐ 詩人[11][12]
  • 長男・伊東夏樹

作品

詩集
  • 『わがひとに与ふる哀歌』(杉田屋印刷所、コギト発行所、1935年)
  • 『夏花』(子文書房、1940年)、北村透谷賞受賞
  • 『春のいそぎ』(弘文堂、1943年)
  • 『反響』(創元社、1947年)、復刻 竹林館 2005年
再刊著作

伝記

研究評伝

  • 小川和佑『伊東静雄論』五月書房 1973年
  • 小川和佑『伊東静雄論考』叢文社 1983年
  • 田中俊廣『痛き夢の行方 伊東静雄論』日本図書センター 2003年
  • 山本皓造『伊東静雄と大阪・京都』「ソフィア叢書5」竹林館 2002年
  • 永藤武『伊東静雄論・中原中也論』おうふう 2002年
  • 米倉巌『伊東静雄 憂情の美学』 審美社 1985年
  • 三宅武治『伊東静雄 その人生と詩』花神社 1982年
  • 野村聡『伊東静雄』審美社 1996年
  • 城戸朱理『詩人の夏 西脇順三郎と伊東静雄』矢立出版 1994年
  • 高橋渡『雑誌コギトと伊東静雄』双文社出版 1992年
  • 溝口章『伊東静雄―詠唱の詩碑』土曜美術社出版販売 1998年
  • 青木由弥子『伊東静雄 戦時下の抒情』土曜美術社出版販売 2023年
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脚注

関連項目

外部リンク

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