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佐藤千敬
カトリック教会の聖職者 ウィキペディアから
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佐藤 千敬(さとう ちひろ、Raymond Augustin Chihiro Sato, O.P., 1926年3月31日 - 2002年11月12日)は、日本のカトリック教会聖職者でドミニコ会士。カトリック仙台司教区第5代司教を務めた。洗礼名は「アウグスチノ」で修道名は「ライムンド」。
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生涯
宮城県仙台市に生まれる。福島県郡山市で幼少期を過ごし、仙台二中、海軍兵学校を経て、東北帝国大学に進学[1][2]。1948年3月28日、仙台 北五十人町(現 角五郎丁)教会(現 西仙台教会)でドミニコ会の渡辺吉徳神父から受洗[3]。1949年3月に 東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1949年4月にドミニコ会に入会[3]。
1953年にカナダ・オタワ市のドミニコ会神学校に入学し[3]、現地で1959年に初代仙台教区長マリー・ジョゼフ・ルミュー大司教により司祭に叙階。帰国後の1963年4月、清泉女子大学助教授となり、1965年4月には仙台市「学生の家」責任者かつ仙台カトリック学生連盟指導司祭となる[3]。1971年10月に仙台ロゴス研究所所長、1973年1月にカトリック仙台教区事務局長・司教代理を担当した[3]。
1976年3月20日、 教皇大使ヒッポリト・ロトリ大司教により司教に叙階[3]。教区長としてカテドラルと教区センターの建設、光ヶ丘スペルマン病院のホスピス棟増築、教区の財政再建を行い、司祭給与制度を確立[1]。司教協議会では、財務の仕事を担当し、かつカリタス・ジャパンの発展に尽くした[4]。
1998年6月、健康上の理由で仙台教区司教を引退して東仙台の「司祭の家」で養生[3]。その後は腎臓が悪化して手術を受けたり、ペースメーカーを入れたりしていた[5]
2002年11月12日、仙台市光ヶ丘スペルマン病院にて多臓器不全のため死去[3]享年76。11月15日に溝部司教司式による葬儀ミサが捧げられた後に火葬され、11月16日に鶴ケ丘カトリック墓地に埋葬された[1]。
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脚注
外部リンク
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