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和泉市立横山小学校
大阪府和泉市にあった小学校 ウィキペディアから
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和泉市立横山小学校(いずみしりつ よこやましょうがっこう)は、かつて大阪府和泉市にあった公立小学校。
概要
市内を南北に流れる槇尾川上流域の横山谷に位置し、旧横山村を校区としていた。児童数は1975年(昭和50年)の705名をピークに減少を続け[1]、2024年(令和6年)5月1日現在では118名となり、市内の小学校の中では南横山小学校(108名)、幸小学校(111名)に次いで少ない人数であった[2]。
沿革
略歴
明治維新後、日本では近代的な教育制度が導入され、各地に小学校が設立された。堺県では、村々を単位として学区が編成され、それぞれの学区に郷学校本校とその出張所(分校)が設置された。
横山谷の村々は春木川村、久井村、若樫村とともに第十三区[注釈 1]に属し、小野田村、父鬼村、内畑村、春木川村には郷学校分校が設置された。横山小学校の前身となる分校は、小野田村の大安寺に設置された[4][5]。
小中一貫校への再編
地域における人口減少とそれに伴う児童数の減少を背景に、学校の数や配置を見直す取り組みが検討され、その一環として施設一体型小中一貫校の導入が進められた[1]。これにより、和泉市立南横山小学校および和泉市立槇尾中学校と統合され、2025年3月をもって閉校、創立から152年にわたる歴史に幕を下ろした。なお、児童は新設される和泉市立槇尾学園に通学することとなった。
跡地利用
閉校後の校舎や体育館は解体される方針となっており、災害時には新設された槇尾学園が指定避難所として機能する。跡地の活用については、民間による施設利用を含め、地域活性化に資する形が理想とされ、民間活用の可能性を探る調査が計画された。和泉市では2024年10月から12月にかけて民間事業者から意見を募る「サウンディング型市場調査」を実施し、2025年2月にその結果を公表した。今後はこの調査結果を踏まえ、利活用の方針や公募条件の整理・検討が進められる予定である[6][7]。
年表
- 1872年(明治05年)05月10日 - 第13区分校として小野田村平安寺に開校。
- 1873年(明治06年)04月 - 泉州39番小学と改称。
- 1874年(明治07年)07月 - 小野田小学と改称。
- 1875年(明治08年)05月30日 - 公立泉州小野田小学と改称。
- 1875年(明治08年)12月 - 福瀬小学を併合。
- 1877年(明治10年)09月 - 北田中村に移転し、横山小学と改称。
- 1882年(明治15年)08月 - 横山小学校と改称。
- 1882年(明治15年)12月 - 坪井小学を併合。
- 1884年(明治17年)05月 - 坪井村に分教場を設置。
- 1887年(明治20年) - 横山尋常小学と改称[8]。
- 1889年(明治22年)04月 - 横山尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)04月01日 - 横山国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)04月01日 - 横山村立小学校と改称。
- 1956年(昭和31年)09月01日 - 町村合併により和泉市が発足し、和泉市立横山小学校と改称。
- 2025年(令和07年)03月31日 - 閉校[9]。
- 2025年(令和07年)04月01日 - 和泉市立槇尾学園が開校。
- ※出典が個別に示されていない記述は、学校公式サイト内の「沿革」ページに基づく[10]。
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教育方針
教育目標
- 主体的な子どもを育てる ~豊かなつながりを育む~
めざす子ども像
- か・が・や・け(かんがえる子、がんばる子、やさしい子、けんこうな子)
通学区域
- 北田中町、仏並町、坪井町、小野田町、九鬼町、岡町、福瀬町、善正町、下宮町、南面利町、槇尾山町[11]。
- ※卒業後は基本的に和泉市立槇尾中学校に進学していた。
交通
最寄りバス停は、チョイソコいずみ「405 JAいずみの横山支店」もしくは「407 北田中町公民館」[12]。
- 各バス停より徒歩約1分。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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