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唐木圀和

日本の経済学者 ウィキペディアから

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唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 - )は、日本経済学者[1]。専門は国際経済学開発経済学慶應義塾大学名誉教授

概要 人物情報, 生誕 ...

経歴

1941年3月に東京市四谷区に生まれる[1]1947年に文京区立元町小学校を卒業、1956年に文京区立第四中学校を卒業、1959年東京都立小石川高等学校を卒業する[1]1963年慶應義塾大学商学部を卒業、1965年に同大学大学院商学研究科修士課程を修了、1968年に同博士課程単位取得退学する[1]。1965年に慶應義塾大学商学部助手となり、1972年に同助教授、1984年に同教授となる[1]1970年から2年間米国フレッチャー・スクールを、1986年から2か月間中国復旦大学を訪問している[1]2006年に慶應義塾大学を定年退官、同名誉教授となり、常磐大学国際学部教授に就任している[1]

退任記念講義では、指導教授の白石孝と、唐木にとっての教員の山本登矢内原勝大熊一郎、そして唐木にとっての学友の福島義久深海博明大山道広に礼を述べている[2]松本三郎が主宰し(当時まで)25年続いていた「三田ASEAN研究会」には第10回から参加し始め、250回までほとんど参加した[2]赤川元章と共に「東アジア研究会」を開き東アジア経済について議論した[2]

学外でも、アジア政経学会評議員、日本私立大学連盟学生部会委員などを務めている。国際経済学会とアジア政経学会に所属した[1]

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研究

留学中にゴットフリート・フォン・ハーバラーアルバート・O・ハーシュマンから得た示唆を基に、開発経済学、中国経済についての研究を行った[3]

著作

単著

  • 『中国経済近代化と体制改革』(慶應義塾大学出版会、2006年)

共著・編著

  • 『ヴェトナム和平の経済的影響と東南アジア関係諸国』(世界経済研究協会、1969年)
  • 矢内原勝)『近代化の条件』(ダイヤモンド社、1972年)
  • 板垣與一)『日本の資源問題』(日本経済新聞社、1972年)
  • 田中喜助)『ワークブック貿易論』(有斐閣、1980年)
  • 『日本貿易学会三十年史―日本経済の発展と通商政策の歩み―』(社団法人日本貿易会、1980年)
  • (矢内原勝・深海博明大山道広)『世界経済のニュー・フロンティア』(文眞堂、1988年)
  • 松本三郎川野邦衛)『東南アジアにおける中国のイメージと影響力』(大修館書店、1991年)
  • 白石孝)『世界経済の新形成と日本』(文眞堂、1991年)
  • (大山道広・高梨和紘)『東アジアの国際交流と経済発展』(文眞堂、1993年)
  • 『現代アジアの統治と共生』(慶應義塾大学出版会、2002年)
  • 『東アジア経済研究のフロンティア』(慶應義塾大学出版会、2004年)

出典

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