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山本悠樹

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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山本 悠樹(やまもと ゆうき、1997年11月6日 - )は、滋賀県野洲市出身のプロサッカー選手Jリーグ川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)

概要 山本 悠樹, 名前 ...
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来歴

野洲JFC、SAGAWA SHIGA FOOTBALL ACADEMY ジュニアユース、FC湖東を経て、草津東高校へ進学。高校年代屈指の司令塔として注目を集め[1]、高校3年次にはセレッソ大阪の練習に参加したが、山口蛍らにレベルの差を見せつけられ、プロ入りを断念[2]関西学院大学へ進学し、大学では3年次の秋にトップ下からボランチへとコンバートされた[3]2019年6月、2020年からのガンバ大阪へ加入が内定[4]。同年7月には、ユニバーシアード日本代表に選出されて、ユニバーシアードで金メダルを獲得した[5]。同年9月、JFA・Jリーグ特別指定選手に認定され、G大阪に選手登録された[6]

2020年よりガンバ大阪に入団。2月16日、ルヴァンカップGL第1節の柏レイソル戦で途中出場から公式戦初出場を果たすと、7月4日の第2節セレッソ大阪戦で途中出場からJ1初出場を果たした。9月5日、第14節のベガルタ仙台戦でJ1初先発をすると、プロ入り初ゴールを決めて勝利に貢献した[7]。その後、ガンバのレジェンドである遠藤保仁からポジションを確保した。

2023年から副キャプテンに就任。同年9月15日に結婚したことを発表[8]

2023年12月25日、2024シーズンから川崎フロンターレへ完全移籍加入することが発表された[9]。背番号は「77」。理由は、元々ガンバ大阪で付けていた「29」にしようとしたが、移籍当初高井幸大が付けていたため(しかし、「2」に変更)、ラッキー7の意味を込め、「77」にした[10][11]。翌年、ゼ・ヒカルドの移籍により空いた「6」に変更。

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人物

滋賀県野洲市出身。幼少期は兄弟や友人とともに河川敷でサッカーに親しみ、練習帰りには小学校の壁を使って一人でキックやトラップの精度を磨くこともあった[12]

父親は陸上経験者で、息子のサッカーへの情熱を受けて、ボランティアコーチとしてクラブを支えるようになった。実弟とも幼少期から仲が良く、弟もJクラブのジュニアユースでプレーしていた。

学生時代は関西学院大学でサッカーと勉強を両立し、オフには美味しいラーメン屋を探して食べ歩いたり、梅田や三宮で買い物を楽しむことを趣味としていた。また、夢中になっていたのはラーメンと買い物である[13]

関西学院大学在学中は、部活動内で分析担当を務め、対戦相手の映像編集・分析・発表などを自身で行っていた[14]。この経験を通じて「言葉で伝える力」を重視するようになったと述べている。

好きな映画は『プラダを着た悪魔』、よく観るテレビ番組は『千鳥の鬼レンチャン』、趣味は買い物とゴルフで、マイブームはゴルフである。音楽はaespaやback numberを好み、マンガは『呪術廻戦』や『HUNTER×HUNTER』を好む[15]

個人的な節目としては、2023年9月15日に入籍を発表し、「良い時も悪い時も側で支えてくれた彼女に感謝し、笑顔の絶えない家庭を築きたい」とコメントしている[16]

犬派で、自宅ではポメプーとビションフリーゼを飼育し、旅行先での愛犬の写真を待ち受けにしている[17]

得意家事は食器洗い、遊園地の好きな乗り物はジェットコースター、得意科目は日本史・英語、苦手科目は古文。「この世で一番大切なもの」は家族である[17]

また、プレーの中では自分がポジションを取ることでボール回りがよくなるといった”間”を意識しており、小中学生時代の恩師から「当たられる前に次の場所を探せ」と教えられたことが原点になっているという[18]

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所属クラブ

個人成績

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その他の公式戦
さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
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代表歴

タイトル

クラブ

関西学院大学
川崎フロンターレ

代表

ユニバーシアード日本代表

脚注

関連項目

外部リンク

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