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桧枝岐の舞台
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桧枝岐の舞台(ひのえまたのぶたい)は、福島県南会津郡檜枝岐村にある農村舞台[1][2]。鎮守神の境内地に建てられており、江戸時代から村人によって演じられてきた農村歌舞伎「檜枝岐歌舞伎」の上演に用いられている[2][3]。1976年に国の重要有形民俗文化財に指定された[2][4]。
毎年5月12日、8月18日、9月第1土曜日には、地元の一座「千葉之家花駒座」による歌舞伎が奉納されており、この檜枝岐歌舞伎は1999年に福島県の重要無形民俗文化財に指定された[2][5]。
概要
村の鎮守神社(駒形大明神・燧大権現)の境内に位置し、江戸時代に建立されたが、1893年(明治26年)の村の大火で焼失し、現在の建物は1897年(明治30年)ごろに再建された[6][7]。
正面から見ると破風があり入母屋造に見えるが、前面に廂(ひさし)を設けた切妻造で、軒端はこの地方特有の「兜造」と呼ばれる様式である[6][8]。屋根は茅葺きで[8]。舞台中央は固定式の二重舞台[9]で、前後に唐紙がはめ込める[8]。
舞台は神に奉納する目的で建てられており、神社と向かい合う拝殿のような形態を持つ[7]。舞台の前には平土間があり、鎮守社を最上段として急傾斜の石段状観客席が設けられ、約1,200名を収容できる[1]。
文化財指定
農村舞台の一典型として、隣町の南会津町にある「大桃の舞台」とともに、1976年(昭和51年)8月23日に国の重要有形民俗文化財に指定された[6][10][11]。
檜枝岐歌舞伎

檜枝岐歌舞伎は、江戸時代に都市の歌舞伎文化を地方でも楽しもうとする庶民の熱意から生まれた農民歌舞伎であり、素朴ながら江戸後期の様式をよく残しているとされる[1]。出演者・衣装・大道具のすべてを村人が担い、鎮守神に奉納する形で上演される[12]。
舞台では、地元の一座「千葉之家花駒座」によって現在も毎年5月12日(愛宕神社祭礼)、8月18日(鎮守神社祭礼)、9月の第1土曜日の年3回の上演が奉納されている[1]。戦後に一時衰退の兆しもあったが、行政支援と観光事業との連携により現在も約30名の座員で活動を続けている[1]。この歌舞伎は1999年(平成11年)に福島県の重要無形民俗文化財に指定された[6][13]。
演目は『絵本太功記』『一之谷嫩軍記』など古典作品に加え、地元創作の『南山義民の碑』など計11本が伝承されている[1]。舞台のある鎮守社の石鳥居脇には「歌舞伎伝承館千葉之家」が設けられ、歌舞伎の資料が展示されている[1][14]。
毎年9月第1土曜日の「檜枝岐歌舞伎の夕べ」は観光客向けの公演で、2025年には終演後に温泉や食事を楽しめるようにと、例年の夜間開催を昼間に変更して行われた[15]。また、2004年には国立劇場公演も行われ、舞台装置は檜枝岐の舞台を模して製作された[7]。
ギャラリー
- 檜枝岐歌舞伎公演(2025年9月)
- 正面全景
- 説明板
- 観客席
- 石段造りの観客席と鎮守神社
アクセス
脚注
参考文献
外部リンク
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