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樫の木の下の聖家族

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樫の木の下の聖家族
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樫の木の下の聖家族』(かしのきのしたのせいかぞく、: La Sacra Famiglia sotto la quercia, 西: La Sagrada Familia del roble, : The Holy Family under an Oak Tree)は、イタリア盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンツィオと弟子のジュリオ・ロマーノが1518年から1520年に制作した絵画である。油彩。ラファエロ最晩年の作品で、の木陰で休む聖家族を描いている。16世紀から19世紀にわたって多くの模写や複製画が描かれた。現在はマドリードプラド美術館に所蔵されている[1][2][3][4]

概要 作者, 製作年 ...
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作品

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ラファエロ・サンツィオの『聖家族』。別名『ラ・ペルラ』。1518年頃。プラド美術館所蔵[3][5][6]

ラファエロは樫の木陰で休む聖家族のひとときを描いた。聖母マリアは古代遺跡のそばに座り、転がった大きな石材の上に左腕を置いている。幼児のイエス・キリストは聖母マリアの右の太股の上に不安定な姿勢で座っており、聖母マリアは我が子が落ちないように右手を伸ばして支えている。聖母マリアとキリストの足元には揺りかごがあり、キリストはその上に左足を乗せ、画面左に立った幼い洗礼者ヨハネもまた右足を揺りかごの枕の上に乗せている。典型的なラクダ毛皮を身に着けた洗礼者ヨハネは、キリストに向かって「見よ、神の仔羊を」を意味するラテン語「エッケ・アニュス・デイ」(Ecce Agnus Dei)と記された巻物を広げている。この言葉はユダヤ人仔羊を犠牲にしたように、人類を罪から救うために自らを犠牲にしたキリストの受難を表す[1][2]。キリストはこの言葉の意味を理解しており、運命を受け入れた印として微笑みながら背後を振り向き、聖母マリアを見上げている。画面右では聖ヨセフが聖母マリアのそばの石材にもたれるようにして立ち、肘をつきながら戯れる子供たちと聖母マリアをじっと見つめている[1][2]イグサで編まれた揺りかごは鮮やかな質感の枕と柔らかなシーツで満たされている。倒壊した古代遺跡の石材には古代の女性を描いた浮き彫りが見える。しかし聖母のマントで隠れ、女性の顔を見ることはできない。画面右下には石柱を支えた円形の礎盤が見え、その上にはコリントス式柱頭が転がっている。

この絵画は通常、弟子のジュリオ・ロマーノの作とされているが、構図はラファエロによって作成され、おそらく最初の下絵もラファエロによって描かれたと考えられている。その後、ジュリオ・ロマーノによって描き上げられた[1][2][3]。あるいはジャンフランチェスコ・ペンニの名前が挙げられることもある[3]

場面はタイトルの由来となった樫の木陰がある風景の中で展開される。各人物の配置は典型的なピラミッド形をとっておらず、画面を斜めに横切るように配置されている。背景にはテヴェレ川を思わせる谷と、丘の上に古代ローママクセンティウスのバシリカや、カラカラ浴場[3]、あるいはミネルウァ・メディカ神殿を思わせる廃墟が見える[7]。樫の木はこれらの遠景と聖家族との間にあって場面を切り離している[1][2]。聖母マリアに抱かれたキリストが揺りかごに足を乗せている構図[5]、風景や明暗のコントラストに重きを置いている点は同じくプラド美術館所蔵の 『聖家族』(La Sacra Famiglia)などの作品と顕著な類似点を示している[1][2]

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来歴

発注主や制作経緯、初期の来歴は不明である[3]。絵画は1640年にボローニャフィアーノおよびザガローロ公爵ニッコロ・ルドヴィージ英語版によってスペイン国王フェリペ4世に贈られた。以降、絵画はスペイン王室のコレクションにあり、1667年にエル・エスコリアル修道院[1][2][3]、1827年にマドリードのモンクロア宮殿で記録されている[1][2]

複製

ラファエロの『樫の木の下の聖家族』は大変な評判を得たらしい。フィレンツェや、ペーザロ、ボローニャ、サンクトペテルブルクハンプトン・コート宮殿ハーグなどに現存する多くの複製はかつての評判を証明している[8] 。特に有名な複製はフィレンツェのパラティーナ美術館が所有しており、画面右下に配置された石柱の礎盤の上に小さなトカゲが描かれていることにちなんで『トカゲの聖母』(La Madonna della Lucertola)と呼ばれている[9]。17世紀と18世紀にはそれぞれジュリオ・ロマーノとコレッジョに帰属され、現在は一般的にジュリオ・ロマーノの作品と考えられている。しかし1991年に第3代トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチの依頼によって制作されたとする説が出されたことにより、ジュリオ・ロマーノへの帰属は疑問符がつけられることとなった。『トカゲの聖母』は少なくとも1671年にローマのメディチ家の邸宅で記録されている。絵画は1799年にナポレオン軍の略奪に遭い、パリに移送されたのち、ルーヴル美術館のグランド・サロンおよびナポレオン美術館フランス語版で展示された。絵画が返還されたのはナポレオン失墜後の1816年であった[10]。ルネサンス後期の画家フェデリコ・バロッチの複製『エッケ・アニュス・デイ』(Ecce Agnus Dei)は、現在個人のコレクションに所有されている[11]。19世紀にはスペインで活動したイタリア人画家ルイス・エウセビスペイン語版も模写を制作した。この人物は1819年に設立されたばかりのプラド美術館における中心的人物の1人であった[12]。しかし画家としてのウセビの作品はほとんど知られておらず、本作品の模写は開館後に制作された複製の1つとして知られている[13][14]

ギャラリー

脚注

参考文献

外部リンク

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