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源為善

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源 為善(みなもと の ためよし、生年不詳 - 長久3年10月1日1042年11月16日))は、平安時代中期の貴族光孝源氏播磨守源国盛の子。官位従四位上備前守

経歴

文章生から、玄蕃助を経て、長和5年(1016年)正月に後一条天皇践祚すると六位蔵人に補せられ、同年11月に叙爵した。のち三河守として受領を務めている。

寛仁2年(1018年藤原威子が後一条天皇の中宮に立てられると、為善は中宮権大進に任ぜられ、その後も威子が没するまで約20年に亘って中宮職官人を務めた。後一条朝ではほかに右衛門権佐左少弁備後守を歴任する一方、長元元年(1028年従四位下に叙せられている。

後朱雀朝長暦2年(1038年)従四位上に至る。またこの頃、備前守も務めた。長久3年(1042年)2月19日卒去

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:源国盛
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:源為仲

脚注

参考文献

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