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瀬田吉之助

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瀬田 吉之助(せた きちのすけ、1884年明治17年〉6月1日[1] - 1937年昭和12年〉11月14日[1])は、日本実業家政治家資産家[2]地主[3][4][5][6][7]。瀬田不動産合資会社代表社員[1][注 1]。鍋屋合資会社代表社員[10]。板橋町大山出身[11]

経歴

東京市板橋区板橋町九丁目、瀬田吉兵衛の息子[注 2]東大林学科卒業[3]農業を営む[12][13]1915年板橋町会議員に当選、以来1919年に至る1期間板橋町政に参画し、町利民福の為に大いに尽瘁したが、1919年に至って考える所があり政界を断念し、土地管理等の家業に努力する[1]

傍ら事業界に進出し、東洋計器会社、斎藤レンズ製作所、浦和商業銀行等に投資する[1]1926年成子内親王神代雛上田直次作木彫)一対を献上する[1]

人物

同志会に籍を置き、公爵・桂太郎の殊遇を受け、その指導に接する[11]。熱烈な皇室中心主義者であった[1][11]。敬神の念が極めて篤く、邸内には不動尊及び正観音を安置し、深くこれに帰依した[11]

趣味は読書、旅行[1]、名所旧跡探勝[3]。宗教は日蓮宗[1]。住所は東京市板橋区板橋町八丁目[1][3][4]

家族・親族

瀬田家
親戚

脚注

参考文献

関連項目

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