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牧野弼成

江戸時代末期の藩主 (1854-1924) ウィキペディアから

牧野弼成
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牧野 弼成(まきの すけしげ)は、丹後国田辺藩の第10代(最後)の藩主。丹後田辺藩牧野家11代。

概要 凡例牧野弼成, 時代 ...

経歴

嘉永7年(1854年)8月23日、第9代藩主・牧野誠成の長男として生まれる。明治2年(1869年)に父が死去したため跡を継ぎ、6月に版籍奉還により知藩事となった。このとき、紀伊田辺藩との混同を避けるために、田辺を舞鶴(のちの舞鶴市)と改名している。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で舞鶴藩知事を免官された。後に子爵となる。

1916年(大正5年)2月7日に隠居した[1]。大正13年(1924年)6月23日に死去。享年71。

系譜

  • 父:牧野誠成(1832年 - 1869年)
  • 母:シゲ - 桂芳院、九鬼隆徳の娘
  • 夫人:弥栄 - 正親町公董の娘
    • 長男:牧野一成(1880年 - 1958年)
    • 女子:牧野カウ - 池の家に嫁ぐ。娘の池の志満は亀井家に嫁ぐ。その長男は亀井貞一、その長男は亀井清、その長男は亀井政孝。

脚注

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