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第1回東京箱根間往復大学駅伝競走
1920年の箱根駅伝 ウィキペディアから
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四大校駅伝競走(よんだいこうえきでんきょうそう)[1]は、1920年2月14日から2月15日まで開催された第1回目の東京箱根間往復大学駅伝競走である。
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2012年1月) |

最前列で学生服を着た人物が箱根駅伝考案者の金栗四三
実施日程
概要

1919年10月、ストックホルム・オリンピックマラソン代表・金栗四三、東京高等師範学校教授・野口源三郎、明治大学・沢田英一のなかで、アメリカ大陸を継走で横断する計画が持ち上がり、実施するための代表選考会を開催することとなった。関東の多くの大学・師範学校・旧制専門学校に参加を呼び掛けるが、長距離選手を10人揃えられる学校は少なく、出場校は東京高等師範学校(現:筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校となった。現代ではこの4校を指して「オリジナル4」と呼称される[2]
往路は1920年2月14日に開催。土曜日であったことから午前中の講義を受けた後、有楽町の報知新聞社前を13時00分にスタート。1区は東京高師が首位。2区で明大が先頭に立つとそのまま首位を守り、5区の沢田英一が往路優勝のテープを切った。2位は東京高師、3位は早大。4位慶大はトップと1時間20分の大差がつき、芦ノ湖到着は21時53分であった。このため、後半は松明をともしながら走り、ゴールした時には花火で合図を送ったという逸話がある。
復路は2月15日7時00分にスタート。上位3校は時差スタートとなったが、4位慶大のスタートは往路優勝した明大から30分後であった。復路も明大が独走し、9区終了時点で後続に11分の差をつけていたが、最終10区の尾張町交差点で東京高師の茂木善作が逆転[3]。15時間05分16秒のタイムで東京高師が総合優勝を果たした。以下、2位明大、3位早大、4位慶大。
優勝した東京高師と2位明大との差はわずか25秒で、1971年の第47回大会(優勝日本体育大学[4]、2位順天堂大学)で23秒差が記録されるまで、1位と2位の最小タイム差であった。一方で、東京高師は明大との8分27秒差を復路で逆転したが、この記録は100年以上たった現在でも、最大差の逆転劇である。
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成績
要約
視点
総合成績
*1:復路一斉スタート
往路成績
復路成績
*1:復路一斉スタート
区間賞
区間記録
*太字は区間1位。
区間エントリー
区間成績
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脚注
外部リンク
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