スペイン・ハプスブルク朝
16世紀と17世紀のスペインの王朝 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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スペイン・ハプスブルク朝は、16世紀から18世紀にかけて、ハプスブルク家のスペイン分家の王が支配した広大な領土[注釈 3]を指す現代史学用語である[注釈 4]。ハプスブルクのスペイン語名によりアブスブルゴ朝とも呼ばれる。
宗教 | カトリック | ||||||||||||||||||||
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首都 | マドリード(1516年 - 1601年、1606年 - 1700年) バリャドリッド(1601年 - 1606年) | ||||||||||||||||||||
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通貨 | スペイン・レアル(英語版) |
- スペイン・ハプスブルク朝[1][注釈 1]
- Monarchia Hispaniae[注釈 2]
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←1516年 - 1700年 →
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→(国旗) (国章)
イベリア半島の地図(1570年)
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ハプスブルク家のスペインは複合君主制であり、同君連合であった。ハプスブルク家のスペイン系君主[注釈 5]は、スペイン帝国を支配し、その影響力と権力の頂点に達した。彼らはアメリカ大陸、東インド、ヨーロッパのネーデルラント、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、フランス、ドイツ、1580年から1640年までのポルトガル帝国、北アフリカのセウタやオランといった小さな飛び地を含む五大陸にわたる領土を支配した。スペインの歴史でこの時期は「拡大の時代」とも呼ばれる。
ハプスブルク家とともに、スペインは16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパのみならず世界でも有数の政治・軍事大国となったのである。ハプスブルク家の時代、スペインは芸術と文学の黄金時代を迎え、アビラのテレサ、ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ、ミゲル・デ・セルバンテス、フランシスコ・デ・ケベード、ディエゴ・ベラスケス、エル・グレコ、ドミンゴ・デ・ソト、フランシスコ・スアレス、フランシスコ・デ・ビトリアなど世界で最も優れた作家、画家、有力知識人が輩出した。
スペインあるいは「スペイン人」とは、この時代、異なる大陸にまたがるスペインの領土を指し、当初はアラゴン、バレンシア、カタルーニャ君主国、カスティーリャ、レオン、ナバラ、そして1580年以降はポルトガルといった王国を含むイベリア半島全域を指していた。
1469年のカスティーリャのイサベル1世とアラゴンのフェルナンド2世の結婚により、カスティーリャとアラゴンの2大王家が統合され、1492年のグラナダ征服、1512〜1529年のナバラ征服というレコンキスタの頂点に立ち、やがて事実上のスペイン統一が実現したのである。イザベラとフェルディナンドは1494年にローマ教皇アレクサンデル6世から「カトリック王と女王」の称号を授与され[3]、スペイン・ハプスブルク家の君主制を表す「モナルキア・カトリカ(カトリック王制、現代スペイン語:Monalquía Católica)」という言葉が使われ続けることになった。ハプスブルク時代は、18世紀に制度化された意味での「スペイン」という概念を形成している。
統一国家としてのスペインは、旧領の複数の王冠を継承した1707年のヌエバ・プランタ令を経て、法律上誕生した。1700年にスペイン最後のハプスブルク家の王カルロス2世が死去し、その結果起きたスペイン継承戦争でブルボン家のフェリペ5世が即位し、新たな中央集権的な国家形成が始まった。