リヴォフ=サンドミール作戦
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リヴォフ=サンドミール作戦(露: Львовско-Сандомирская стратегическая наступательная операция)とは、赤軍の第1ウクライナ戦線 による戦略的攻勢作戦。ドイツとハンガリーの部隊で構成される北ウクライナ軍集団の殲滅を目標とし、1944年7月13日に始まり8月29日に終わった同作戦の結果、赤軍はウクライナ西部とポーランド南東部を支配下に置いた。
- リヴォフ攻略作戦(1944年7月13日 - 1944年7月27日)
- スタニスラフ攻略作戦(1944年7月13日 - 1944年7月27日)
- サンドミール攻略作戦(1944年7月28日 - 1944年8月29日)
概要 リヴォフ=サンドミール作戦, 交戦勢力 ...
リヴォフ=サンドミール作戦 | |
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リヴォフのソビエト赤軍将兵 | |
戦争:第二次世界大戦(独ソ戦) | |
年月日:1944年7月13日 – 7月29日 | |
場所:ポーランド東部、ウクライナ西部 | |
結果:ソビエト軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
ドイツ国 ハンガリー王国 |
ソビエト連邦 |
指導者・指揮官 | |
ヨーゼフ・ハルペ エアハルト・ラウス ヴァルター・ネーリング オットー・デスロホ(英語版) ファルカシュ・フェレンツ ラウル・フェデリキン |
イワン・コーネフ ミハイル・カトゥコフ パーヴェル・ルイバルコ デミトリー・レルユシェンコ(英語版) ワシーリー・ゴルドフ ニコライ・プーホフ(英語版) キリル・モスカレンコ パーヴェル・クロチキン スチェパン・クラソフスキー(英語版) |
戦力 | |
将兵900,000名 装甲車両900両 火砲6,300門 |
将兵1,200,000名 装甲車両1,979両 火砲11,265門 |
損害 | |
不明 | 戦死65,001名 戦病死224,295名 合計289,296名 戦車・自走砲1,269両 航空機289機[1] |
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リヴォフ=サンドミール作戦は通常、並行して行われドイツ中央軍集団の崩壊につながったバグラチオン作戦の圧倒的大勝利の影に隠れてしまうが、しかしベラルーシ方面では、ソビエト赤軍と空軍の戦力の過半はバグラチオン作戦にではなく、リヴォフ=サンドミール作戦に振り向けられていた[2]。欺騙・偽情報作戦は裏の裏をかくはったりとして行われ、ソビエト赤軍はポーランド南部、ウクライナに兵力を集中させることにより、ドイツ軍の予備戦力を南へ移動させた[3]。そのため、ドイツ中央軍集団は集中攻撃を受けた場合、崩壊する恐れがあった。ソビエト赤軍が中央軍集団にバグラチオン作戦を発動した時、戦線中央の強力なドイツ装甲部隊を押し戻すことになり、ドイツ中心部において危機を招くことになる可能性があり、また、ソビエト赤軍はヴァイクセル川の橋を占拠し、ルーマニアでの足場を得ることにより、目的を追求することができた[4]。