第二次ハリコフ攻防戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
第二次ハリコフ攻防戦(だいにじハリコフこうぼうせん)は、1942年5月にウクライナの大都市ハリコフの周辺で行われた、ハリコフ奪還を目指すソ連軍と枢軸軍の戦いのこと。チモシェンコ攻勢あるいはバルベンコボ攻勢とも呼ばれる。
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2022年4月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
概要 第二次ハリコフ攻防戦, 交戦勢力 ...
第二次ハリコフ攻防戦 | |
---|---|
当時の東部戦線の状況 | |
戦争:第二次世界大戦(独ソ戦) | |
年月日:1942年5月12日 - 5月28日 | |
場所:ウクライナ国家弁務官区(ナチス・ドイツ占領下)ハリコフ | |
結果:ドイツ軍の圧勝 | |
交戦勢力 | |
ドイツ国 | ソビエト連邦 |
指導者・指揮官 | |
フェードア・フォン・ボック | セミョーン・チモシェンコ |
戦力 | |
歩兵 300,000 戦車 1,000 航空機 1,500 |
人員 765,300[1] 戦車 1,200 航空機 1,000 |
損害 | |
戦死・戦傷・捕虜 20,000 | 戦死・不明 170,958[1] 戦傷 106,232[1] |
| |
閉じる
ドイツのモスクワへの攻勢(タイフーン作戦)を防ぎ、もはやドイツ軍に進撃の余力が無いと見るスターリンによって企図された攻勢の一つである。装備・熟練度とも痛手から立ち直っていないソ連軍が大敗、6月からのドイツ軍の南部戦線での攻勢(ブラウ作戦)で、序盤のソ連軍の一方的敗走を招く原因となった。