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先天的または早期の障害により視覚経験の記憶をもたず生育した人が、外科手術などの方法で視力を得た後の視覚回復過程 ウィキペディアから
先天盲からの回復(せんてんもうからのかいふく、英: recovery from blindness)は、先天的または早期の障害により視覚経験の記憶をもたず生育した人が、外科手術などの方法で視力を得た後の視覚回復過程を指す。17世紀後半にモリヌークス問題という知覚・認識と経験に関する問いを当時の高名な哲学者たちが論じたことで先天盲からの視覚回復に関心が集まった。その後、眼科医による先天盲開眼者の症例報告が増えていくにつれ、17世紀から18世紀の認識論の哲学的思考実験から実証的・経験科学的な認知論に展開し、メタアナリシス的手法や術前術後の実験心理学的な観察報告・リハビリ実践の中で研究が重ねられ、さらに眼の人工臓器やブレイン・マシン・インタフェースといった分野での視知覚回復の研究も拡がっている[1]。
先天盲(誕生時から、あるいは乳幼児の頃に失明して、ものを見た記憶がないか、失われた状態[2])の中で、白内障に関しては古代から外科的治療の行われていたことが知られている[3]。古代インドの医学アーユルヴェーダでは、水晶体を切開して中の白濁した粘液を外に流出させる方法をとっていた[補 1]。ローマ帝国には白内障手術の専業者もいた[4]。 古代アーユルヴェーダで行われていた白濁粘液流出法は西洋には伝播しておらず、ジョン・ロックがモリヌークス問題を提出した当時の西洋医学は、眼の両端から針を差し込んで濁った水晶体を眼球奥下に堕とす墜下法が伝統的に安定した術式として行われていた。モリヌークス問題が知覚・認識と経験との関連を問う思考実験として盛んに論じられた18世紀中頃、フランスで水晶体内部の白濁部分のみを外に流出させる方法が術式として登場し、19世紀に入ると主流となった[5]。19世紀半ばにヘルムホルツが検眼鏡を開発(1851年)、眼病の構造的解明に寄与し、近代眼科学最高の眼科医と言われるベルリンのアルブレヒト・フォン・グレーフェ[6]が白内障線状摘出術のほかに緑内障に関する虹彩切除術の開発などを行った[7]。これにより白内障以外の開眼手術の道が開いた。
外科手術において痛みの問題は患者にとって、また医師にとっても手術を安全確実に進めるためには大きな障害である。古代インド医学では「患者を励まし、眼を人乳で潤し,痛みを起こさせぬように刃で眼球を掻爬する[8]」とあるがこの文面からは、人乳になんらかの鎮痛効果を認めて使用したという意味なのかどうか判然としない。伝統的なギリシア医療(アスクレピオス神殿医学)ではネベンテという薬によって無痛手術を行い、ヒッポクラテス一派やローマ時代の医師は麻薬(阿片、ヒヨス、マンダラゲなど)を使ったといわれる[9]。
近代医学で発見されたエーテルやクロロホルムは当時安全性に問題があり効き目が現れるまでに時間がかかるので、短時間で手術が済む眼科領域ではほとんど使われなかったが、1884年にウィーンの眼科医カール・コラーが、コカインを使った眼の表面麻酔を発見した[補 2]。
同じ1884年にアルフレッド・グレーフェ(アルブレヒト・フォン・グレーフェのいとこ)が、あまりうまくいっていなかったジョゼフ・リスターのフェノール消毒に代わってアルコールを器械消毒に使い、かつ眼の周囲の皮膚や結膜内部を昇汞水でよく洗って消毒すると化膿が少ないことを発表した。1884年の眼科手術での麻酔・消毒に関する2大発見により白内障手術の成績は飛躍的に向上した[10]。
古代から眼病の症例記述はあるが、手術法の記述が主で予後について記述がないか、あるいは術後の処置の説明で簡単に触れられる程度である[23]。モリヌークス問題が哲学者の間で盛んに取り上げられていた時期にはイギリスの医師チェゼルデンなどが開眼手術の報告を始めていた。M・フォン・ゼンデン[補 4]が11世紀以後の文献(チェゼルデンを含む)から66例を集めて1932年に出版した[24]。その後の症例研究としてはリチャード・L・グレゴリー (Richard Langton Gregory[25])、アルベルト・ヴァルヴォ (Alberto Volvo[26]) の論文や、医学エッセイの形式で発表されたオリヴァー・サックスの『「見えて」いても「見えない」』[27]などがある。日本ではゼンデンより前に元良勇次郎・松本孝次郎(1896年)、黒田亮(1930年)らが症例研究を発表していたが日本語であったため海外には知られなかった。後世代の鳥居修晃・望月登志子による開眼研究は英語論文[28]によって海外へも発信されている。
近年にはGiulia Dormalらによる人工角膜移植[29]後の回復状態を磁気イメージングを使って追跡研究した報告などがある[30]。
1930年代から動物を使った「視覚刺激遮断実験」によって、視知覚障害を実験的に再現する研究が始まった。医学現場ではなしえない対象への実験的操作や制限条件の付加などを行うためである。例えばリーゼン (A.H.Riesen) は1947年に、生誕直後のチンパンジーを1年4か月暗室の「視覚刺激遮断」条件下で育てた後、定期的に外光下に連れだし観察・実験を行った。21か月めには一匹を室内照明下に置いて暗室に戻さず、比較観察した。通常飼育されたチンパンジーと比較しても光反応行動に特に異常はなかったが、視覚機能的には眼球振盪、固視や移動する光源の追視に困難が認められた。総じてこれらのチンパンジーが通常の視覚反応を示すようになる過程において先天盲の回復過程と共通する点があることから、視知覚は学習によって獲得されるとリーゼンは推論した。[31] 現在でも脳機能障害による盲視や、脳の視覚領域の特定などにおいて動物を使った実験研究の論文は多数報告されている[32]。
症例研究において手術前の患者の視覚状態を知ることは回復の程度を測るために必要である。
M・V・ゼンデンは、患者の手術前の視覚状態を保有視覚(または残存視覚、Restsehen)と名づけ、患者の保有視覚を3段階に分類した。明暗だけを感じ、色や形はわからない状態を第1群とし、これに光が来る方向がわかるものを含めた。第2群は、いくつかの色が判り、第3群は、2次元の形がぼんやりわかるときがある、というものである[33][34]。鳥居修晃はゼンデンの3分類のみでは十分ではないとし、より細分化した分類を提案している。
ゼンデンの保有視覚分類 |
第I群:「明暗」と「光の方向」 第II群:「明暗」「光の方向」+ 「色」 第III群:「明暗」「光の方向」「色」+「形」(2次元) |
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鳥居の保有視覚分類 |
第I群:Ia-「明暗」のみ. Ib-「明暗」と「光の方向」 第II群:「明暗」「光の方向」+ 「色」 第III群:「明暗」「光の方向」「色」 +「図領域の大小,その延長方向」 第IV群: 〃 + 「2次元の形」 |
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こういった手術前の視覚状態(保有視覚・残存視覚)は術後の回復過程と関連するとゼンデンや鳥居は指摘している[35]。
色認知ではI群とII群で反応に違いのあることが報告されている。第I群(明暗弁のみ)では前述のように「まぶしい」という反応が主であるのに対し、術前ほんの少しであっても色の判別をできた第II群では「色が今までに経験ないほど鮮やかに感じた」という報告がある。[40] ゼンデンは、術前に色知覚がなかった第I群であっても開眼後は色に関心が早くからあらわれ、色と色名を対応させる学習も容易であったと述べ、「手術後の視覚学習の過程で, 形を認知し得るまでに至らなかった開眼者は決して少なくないが, 色についてそれが困難だった開眼者は, 一人も見あたらない」と記している。「開眼後の初期には「色」の視知覚が「形」より早いという例を多数集めたゼンデンの本は、脳神経学の基本法則ともいえるヘッブ則を見出したカナダの神経心理学者ドナルド・ヘッブにも深い影響を与えた[41]。
鳥居修晃は、先天盲開眼者の色知覚獲得過程は以下の3つの段階を経て進展するとしている。
色名の習得 → 2色の間の弁別 → 数種の「色」の識別
鳥居の観察例(生後10ヶ月で両眼失明、12歳で右目の虹彩切除手術)では、単独で色を認知してそれぞれの色名を言えるようになったとしても、2つの色を並べて弁別できるようになるにはさらに一定の学習時期を要し、色カードを3枚にすると「3つになるとどれがどれかわからなくなる」と述べたという。同被験者は、1年4ヶ月くらいで10数種類の色名を認識するに至ったが、黄色の同定には2年1ヶ月を要し、その時オレンジはまだ同定に至っていなかった[42]。
形の識別は色覚よりはるかに遅れて起きるか、時に識別に至らないケースもある(#色覚)。「光がまぶしい」だけの段階を過ぎると、光の中に斑点のようなものを識別できるようになるが「光と影のアンサンブルがあるばかりで」「その意味を理解することができなかった」という複数の証言から Albert Valvo は「光と影が交錯するだけの時期」を想定している[43]。 形の認知はまず地と図の弁別から始まり、2次元の形の弁別、立体の識別へと進むが、最初の地と図の文化から二次元の図形認知に至る間に、鳥居修晃は4つの段階を措定している。[44] (下図:相場覚・鳥居修晃『改訂版 知覚心理学』図7-6 一部改変"2D"→"2次元")
図と地の分化 | 2次元「形」 弁別 |
2次元「形」 識別 | ||||
図領域の 定位 | 図領域の 大小・長短 | 図領域の 延長方向(傾き) | 辺の方向と 方向変化(角) |
「形」の弁別に際して初期段階では開眼者は、全体を「ひと目」で見渡すということができず、白い台紙に貼られた黒い図形に顔を近づけて、図形の縁に沿ってたどるような行動を示したりする。特定箇所に焦点を合わようとすると、「ほかの部分が眼にはいってこない」ため[44]、有色図形領域と白地の境界を触覚認知でそうするようになぞることで把握しようとするともいえる(鳥居修晃はこれを「触-運動的な探索」と呼んでいる[45])。地と図の識別が必要な課題が提出されると、開眼者が慣れない視覚より慣れ親しんだ触覚を使って図の領域を探り当てようとすることは少なくない[46]。
先天盲開眼研究の発端となったモリヌークス問題はもともと「立方体と球」を先天盲開眼者が視覚のみで識別できるかを問うものであった。それ以前に、両眼視が可能とみなされる開眼者のほとんどが、「立体である球」とそのシルエット(断面)である「平面の円」を最初は見分けられなかったとゼンデンは報告している[54]。
立体弁(識)別実験で明らかになったことは、提示課題のオブジェクトがテーブルに落とす影が開眼者たちの識別に影響を与え妨害することだった。触覚の世界には「影」も「陰」もないので、開眼者たちは影もオブジェの形の一部と見做してしまうのである。被験者のひとりは「どんな小さなものにも, 影があるのですね. 不思議ですね」と語った。実験者たちは、照明を工夫してできるだけテーブル上に対象立体の影が落ちないようにしなければならなかった。[55]
晴眼者でも円と球の識別では「陰」を“手がかり”とする。触覚ではあきらかな凹凸も視覚では陰により判断することは「陰の錯視画」などでも明らかで(ただし生理学的、あるいは脳神経学的な仕組みが明白ということではない)、平面図形の認知と立体の認知、言い換えれば2次元と3次元では文字通り認知の「次元」が異なるのである[56]。
鳥居・望月が、4種の2次元図形を識別可能になっている開眼者の眼前の机に円錐と円柱を順番に置いて見せると、円錐については「何かあるのは分かるけれど, 眼では何かは分からない」と言い、円柱は(円柱を上方から眺め下ろして)「マル」と答えたのち手で触って「エントウ」と報告した。
実験終了後、立体に関して「眼で(そこに)あることは分かっても, 形までは分からない。マルやサンカクの区別より難しい」(太字は原著では傍点.以下当段では同様)と述べている。立方体と円柱を同時に並べて見せる実験でも「(立方体を)シカク」「(円柱を)マル」と答え、総体的に「シカク, マルは分かるけど, 高さはわからない……, 表面だけしかわからない」と述懐した。この被験者に限らず、大半の開眼者は、ほぼ真上の視点から机上の立体を見おろすかたちで見るため、円錐の場合には「(円錐先端の)トガッタトコロガ見エナイ」ということになる。[57]これは、弁別活動の形成を目的とした当該実験試行数が重ねられるにつれて、対象の立体構造に応じて視点を変えるようになってくる。その結果「円柱は上が平らで, 真上から見ると円である」が「円錐は先がとがっている」「斜めから見ると, それが分かる」と報告するようになり、最終的に並んだ立体の弁別、数種の立体の識別が可能になる段階へ漸次移行すると鳥居・望月は記している。[58]
保有視覚が第I群・第II群の状態で生まれてから10年前後(およびそれ以上)経過した先天盲者が、術前に触覚で十分知っていた日用品であっても開眼直後にそれを特定したケースは(術前に保有視覚を調べた例では)ない。[59] 開眼前からある程度の形態知覚(たとえば目の前で手を振られると何かが動いているのを知覚できる「眼前手動弁」など)の保有視覚があったIII群であっても、術後ただちに目の前のものが何であるかを視覚だけで識別できることはない。事物の認知は、開眼術後も一般的な晴眼者に比べ低視力に留まる先天盲開眼者にとって日常生活をできるだけ支障なく送るため重要な到達課題である。
眼前手動弁のあったIII群の被験者は術後5ヵ月の間に受けたテストで14個の事物中4個を答えることができた。 “本”では「長方形の形の, 厚みのあるもの, へりのあるもの」といった属性によって識別し、“マッチ”は「四角いハコ, 色は赤, 厚さはある」と答えている。認知としては“ハコ”であり“マッチ”ではなく、事物(個物)として弁別したとはいえない。この点でこの課題設定は単なる立体認知よりクリアー条件の難度が高い。
同被験者の弟もほぼ同じ保有視覚であった。乾電池を示すと「色はキイロ, キン」「クロの文字のようなものがある」としたが何であるかは「眼ではわからない」と答え、触った後「電池」と認識した。「触ったあとでも(そしてそれが何か分かったあとでも), 眼では“電池”とは分からない」と言い、上部の端子に触れながら「こんなのは, 眼では見えないから」と理由を告げている。この時、同じ日に2人とも立体(円柱、円錐、立方体、三角錐)は、名称的に混乱しながらも弁別し得ていることからも、個物の3次元形態の認識は、立方体の認知とは別次元の課題であることがうかがえる。[60]
立体認知で「球」や「立方体」を類(またはカテゴリー)として識別する(色や大きさが違っても同じ「球」「立方体」として認知する)経験を経た開眼者は、事物認知でさらに細分化した類(カテゴリー)の識別課題に進む。「球」という類(カテゴリー)の中(下位)には風船もあればボールもある(「事物認識」)。ボールの中にはピンポン玉もあれば野球ボールもある(「個別化」)。これらを弁別し識別するのは視力の低い開眼者にとって困難な課題であり、開眼者は低視力の中で得られるわずかな属性を手がかりに“事物名”を推測することになる。
開眼者にとって最初の属性は明るさ・色であり、まずそれを手がかりとして事物の特定に向かう。鳥居は「事物の識別に至る長い道程」のなかで開眼者が色(あるいは明暗)のみを手がかりに事物識別へ向かうレベルを<単一属性(色)抽出段階>とした。ここに2次元性が手がかりとして加わると<複数属性(大きさ、長さ、形)抽出段階>に進む。開眼者はこの段階に進むと、確実とはいえないまでもある程度事物識別の可能性がでてくる。[61] また第2の複合する手がかり「形」でなくとも、複数の手がかりによって開眼者は事物認知を試み、時に成果を得る。
この例では、色と明るさの他に触覚的な冷温知覚を手がかりとして事物の識別活動を行ったのである[62]。しかし彼女は地面に落ちているブルーシート片も水たまりと認知するかもしれないし、水たまりが濁っていたときにそれを視覚だけで水たまりとして識知できるだろうか。
鳥居はさらに「属性の重みづけ」が開眼者の事物識別の可能性を高め、最終的には「決めての属性抽出」を得るという識別への道程を考える[63]。
視覚だけではなく触覚を加えれば先天盲開眼者の事物識別、個別識別はきわめて確実性が高くなることは研究者たちによって数々報告されている。
たとえばボール類から個別にテニスボールとピンポン玉を識別するのに触覚を使えば、先天盲者は「ザラザラ」していることから「テニスボール」を、「ツルツル」していることから「ピンポン玉」を直ちに特定できる[61]。それはザラザラ感とツルツル感の触覚経験と名称の結びつきによって養われたものである。視覚でそれに相当するような属性の抽出ができればそれが「決めての属性」となる。触覚によって得た事物の属性経験から得た概念を、異なる知覚様式である視覚によって抽出できるようになるには、同一物を視覚と触覚の両方で繰り返し経験する視覚経験をつみかさねる反復観察が、先天盲開眼者の事物認識の助けになることが19世紀末には報告されていた。
トランペットは確かに独特の形、金色、光の反射など識別しやすい特徴がある。さらに被験者の少年は5歳で比較的失明期間が短く視覚神経も柔軟に発達する時期であり様々な好条件が揃っているようにみえる。またその手順や期間などの記載もなかった。鳥居たちは、提示方法(置き方や提示材料の数、影の処理など)を定めて事物認識訓練の実験を行った(1972年10月)。
論文ではストップウォッチが例としてとりあげられている。1年1ヵ月の間に5回の反復観察を行った結果、「トケイみたい」まんなかの「細いもの(時計の針)」を認識できるようになり、次の実験ではストップウォッチの縁の色が異なるものを提示したがやはり「トケイみたい」と認知し、今度は時計内の円く並んだ数字を「中の文字(読めないが)」が「グルリとあるので」と告げストップウォッチという個別特定ではないが「類」としての「トケイ」を識別できるに至った(被験者は最初から触覚ではストップウォッチと時計を明確に識別できている)。ここで開眼者はストップウォッチの縁の「色属性」を捨て全体の「丸み」と「真ん中のほそいもの(時計針)」といった「重み」の高い属性を採択し、さらに「丸く並んだ文字」という「決めての属性」抽出に至って類(カテゴリー)としての事物「トケイ」を識別し得るようになった。1年9ヵ月後に「時計かストップウォッチ」という段階に至っているが類(カテゴリー)としてのトケイから種(下位カテゴリー)としての「ストップウォッチ」という「個物」の特定には至らなかった。鳥居は「触れば(個物識別の)目標点に到達しているのだから眼だけでもやがてそれが可能になるはず」と記述している(『臨床認知心理学』(2008年)p.138)。個別認識の課題は後節でとりあげる「顔」一般と「特定人物」の識別にもつながる、低視力(弱視、ロービジョン)[65]の開眼者にとって敷居の高い課題といえる。
現実問題として先天盲開眼者は日常生活で必要な事物の識別にあたってどうするかというと、知覚だけではなく知力を使って実際的に対応している。鳥居は「実験室場面を離れると(*事物の特定の)状況は一変する」として被験者の言葉を紹介している。
日常生活では「赤くて」「四角い」と複数属性の組み合わせだけであっても、状況・場面を考え合わせることで事物の識別の「見当」をつけて低視力の開眼者たちは障害に対応し個別の解決を図っているのである。[66]
事物の弁別・識別と人間の弁別・識別は視覚生理学的には連続線上にあるが、開眼者や弱視者の「社会生活」にとって人の顔、表情、仕草などの弁別・識別は、対人関係と関わる「社会的視覚」として特別なカテゴリーをなす[67]。
視覚のみで先天盲開眼者が人を認知することは困難なようである。手術前の開眼者は人の呼吸音、声、体温、触覚などを手がかりに弁別していたのである(黙っている人を弁別する方法に「呼吸の仕方の違い」をあげた例もある(Latta症例)[68])。開眼後に視覚のみで人を弁別する手がかりの第一は「色」であり、例えば服の色などであるが、赤いショールの婦人を見かけて「あの赤いものはなに?」と尋ねた開眼者例(Wardrop症例)などのように色だけでは人間と事物を直ちに弁別することは難しいのである[68]。また、こういった段階では「男女の区別は, 顔ではなく服の色でしている」とか、頭髪が黒くない金髪女性の顔写真では「髪がない……」、肌色が正面の加減でやや青く写っている写真では「ひとの顔みたいだけど, 色が違うので……」といったように色だけの指標では確実な識別に至らないことが示されている[69]。鳥居は開眼者がひとの識別にいたる過程として
人の存在に気づく → 顔の部分的な特徴部分を捉える → 顔を見てひとを識別する → 表情の理解を試みる |
という順序性が想定できることを指摘している[68]。
人間同士の交流の中で言語が占める割合は1/3で残りの2/3は非言語コミュニケーションが占めているともいわれる[80]。先天盲では識知出来ない様々な動作・身振りは未知の世界であり、その意味を学習してこなかった開眼者はそういった人の非言語コミュニケーションを視覚的に識別できるだろうか。
望月の発表(1983年[81]-望月・鳥居らが開眼者の協力によって非言語的コミュニケーション認知実験を始めたのは1976年10月)以前の、ゼンデンを初めとする先行報告には先天盲開眼者が人の動作をどう把握したかの記述はなかった[82]。
望月・鳥居らの実験(観察)は「開眼者が人の全身的な動作や姿勢それ自体を視覚的にどの程度認知できるか」という基本的なところから始められた。「動作」実験(実験者の腕の上げ下ろし、曲げ伸ばし、脚の開閉、胴体の前後倒しなどを一定の距離から被験者が観察し報告する)では腕の動きなどの方向弁別は初回でも可能であったが、動きを伴わない「静止条件」では全身的な姿勢の認知もできなかった。4年後にはある程度改善され、9年後には1~2,5m程度以内であれば「動作」で9割、「静止条件」でも7割以上識別できるようになった。 全身行動をある程度捉えられるようになると、指で特定対象を指す指差し行動の認知課題(ただし指と対象の距離があると両方を一度に把握するのが難しいため、顎や肩などを直接指示する形)に進んだ。静止の把握が動きに比べ難しい点は同じで、視覚対象が小さくなるにつれ正答率は全身動作の把握より下がった。[83]
例えば急須でお茶を注ぐといった「事物を操作する行動」は動作だけ見ても意図が理解しにくく、事物(お茶を注ぐ場合では“急須”)を認知することではじめて動作の意図がわかるため、動作と事物の両方を認知しなくてはならず、難易度が一段階高いといえる。鳥居たちが設定した課題は、 手でカップを口に運びコーヒーを飲む
鉛筆で紙に何かを書く
などの動作を実験者が行うのを観察し「何をしているか」答えるものであった。対象に事物が含まれているため対象との距離は数メートルといった距離ではなく30cmから始められた。被験者は初回の実験では「何かを飲んでいる」という報告に留まった。10ヵ月後の実験は、静止した場面と動作過程を見せるものとに分けておこなわれた。動作を伴った時(動作随伴条件)の正答率は75%に上がったが、静止条件では「全く分からない」という結果だった。8年半後に行われた実験では、30~50cmで正答率はむしろやや下がっていた(64~71%)。ただし観察距離を80~110cmまで離しても71.4%を示し、静止条件でも68%の正答率を示した。
また、動作の意味(動作目的)の察知は、事物が認識可能な距離と連動していることが明白に示された(下表)。
距離80cm | 手で何かをしている |
〃 50cm | 手に何かを持っている. 何であるかは手に隠れてわからない |
〃 30cm | ハサミで何かを切っている (ハサミの認知が「切る」という連想を導き、動作の意味理解へ結びついている) |
非言語コミュニケーション研究で人の身体動作は、表象的動作(言葉の代わりに意味を伝達する記号的な動作;たとえば海底でスキューバ・ダイバー同士が使う身振り手振りの合図、野球で使われるサインなど)、例示動作(言葉の伝達を強めるための付随動作;道案内の時に行き先を手で示す、賛同のうなずき、不同意の首の横振りのほか、絵や文字などもここに入る)、感情表出動作(表情や感情表出に伴う身体動作;がっかりしたときのうなだれ、手を叩いて喜ぶ、恐怖で震える、驚いたときの反応動作など)、言語調整動作(相手の発話を促したり規制したりする動作;相づちとしてのうなずき、身を乗り出す、など)、適応動作(伝達意図のない動作;-疲れたあとの大きな伸び、生理的なあくびの動作-など)に5分類される。[84] 開眼者に対しては表象動作や例示動作・感情表出動作などの認知実験が行われた。
開眼者は、晴眼者が行う会話中の様々な動作や、身振り・手振りだけで行われる無言のサインの存在があること自体を認知していないか、言葉(たとえば“ピースサイン”や“バンザイ”といった言葉)を知識としては知っていても視覚経験の不在によりそれを映像的に想像することは不可能だった蓋然性が高い。
最初の実験では、手招きの動作― 肘から先を上下に動かす 禁止・否定の動作― 肘から先を左右に振る 否定・禁止の動作- 両腕を前で交差させる(バッテンのポーズ)、の3つを被験者の前で実演してその意味を教示し、2週間後の実験から、Vサイン、親指と人差し指で作るOKサイン、人差し指で何かを「指示する」動作、肯定を示すうなづき[85]、首を左右に振る「否定」の動作を加えて8種の身振りサインの識別課題実験をほぼ一年間、計7回おこなった。
結果的に、被験者がほぼ一年目の最後の実験で認知したのは「肘から先を左右に振る否定動作」(被験者の答え「ダメダメ」)、「首を左右に振る否定・禁止動作」(「イヤ」)の2つだけで、「うなずく肯定動作」には「アゴを動かしている」「意味はわからない」と答え、他は認知できなかった。[86]
情緒を表す様々な姿勢、「考え込む」(ほおづえをつき顔を傾斜)、「悩む」(こめかみを指でおさえ、肘を他方の手で支持する)、「自信」(腕を前で組み、上体を後ろにそらす)、「注目・関心・興味」(体を前方に傾け、一点を見る)、「落胆」(うつむき、肩をおとす)、「拒否・拒絶」(a.顔を上へ向ける・b.横を向く) の認知実験が、身振り・手振り認知実験などと並行して行われた。
姿勢の認知実験初期、被験者は<悩み>に対し「肘をついてる」「頭を押してる」、<自信>の姿勢に「手を組んでいる」、<拒否a>に「横を向いた」など姿勢の変化や形態の視認には進展をみせていたが、その姿勢から気分・情緒を忖度することはなかった。実験を重ねるにつれて、たとえば<注目・関心(体を前に傾け一点を凝視)>に対し「おじぎをしている」という「行動の社会的意味の把握」の反応を示し、<自信>に対し「考えごとをしている?」といった人の身体形状に対しその人の精神状況を類推する志向を示すようになった。実験者らは「動作・姿勢に現れている人の気持ち・気分」を教示するとともに、実際に自分でその姿勢を実演させてその気分や情緒を尋ねるという過程を設けることで、他者の姿勢から情緒・気分を読みとる認知力の向上を図った。
半年以上の実験期間を経て、<拒否・拒絶 (b.顔を上げる)>に対し「ダメジャ!」、<自信>に対し「くたびれたー」など、身体の姿勢から対象の情緒をくみ取ろうとする反応も増えていった。しかし一定の姿勢以外では長期の実験期間後も、課題遂行に困難を示していた[87]。
1.身振りの動きや形状を主に捉える段階
→ 2.身振りの伝達機能に関心を示す段階
→ 3.身振りの意味を推理する段階
1.姿勢の形状のみを把握する段階
→ 2.動作・姿勢の目的を推察する段階
→ 3.動作・姿勢の模倣を通じて情緒を推察する段階
→ 4.動作・姿勢を見て情緒を認知する段階
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特定の開眼者の学習過程の追跡調査・報告には長期を要する(顔の判別へ至るのに十年以上を要した例もある)ため協力者(被験者)との関係構築が必須であり[94]、そのための環境(複数の継続的な研究協力者や研究援助)が必要となる。鳥居・望月たちは「光のプレゼント」活動(その後読売光と愛の事業団)との関わりの中で研究を発展させた[95]。
回復過程の研究はそのまま開眼リハビリの研究ともなり得る。これには眼外科医だけではなく、視能矯正学、心理学、脳研究、医療工学など学際的な研究が求められる。先天白内障は発見早期の手術が普及して先天白内障に由来する生来盲がそのまま先天盲となるケースは先進国では以前ほどではない(先天盲参照)。開眼治療が可能な先天盲と失明回復治療の技術が未確立なものとが現在はっきり分化しているため、先天盲(生来盲および早期失明から十年近く経過)からの開眼は既に行われているか、有効な開眼術がなく見通しがたっていないかに分かれて、先進国での先天盲回復事例は少なくなり、研究はまだ途上である。治療技術の未確立な失明因に対する新たな開眼方法が確立すれば新たに先天盲開眼からの回復者が増加し、開眼回復過程研究、視能矯正学、心理学、脳科学、医療工学などで視覚回復研究に新たな発展が見られるかもしれない。
現在、先天盲からの回復を組織的に研究しているのはインドで盲児を支援する“プロジェクト・プラカシュ(光)”(PROJECT PRAKASH)[96]である。このプロジェクトにはアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)などが協力して、脳科学的な観点も含めた[97]研究が行われている。
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