大東亜戦争
1941年から1945年まで続いた東洋と西洋間の戦争の日本側の呼び名 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、日本と中華民国・連合国との戦争の名称について説明しています。対中華民国戦については「日中戦争」を、日中戦争の別名称については「支那事変」を、枢軸国陣営と連合国陣営の戦争については「第二次世界大戦」を、太平洋およびアジア大陸で行われた枢軸国と連合国の戦争については「太平洋戦争」をご覧ください。 |
大東亜戦争(だいとうあせんそう、旧字体:大東亞戰爭、英語: Greater East Asia War)は、1937年(昭和12年)12月8日から1945年(昭和20年)9月2日まで行われた、日本(大日本帝国)と中華民国、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダなどの連合国との全ての戦線の戦争を指す日本側の名称[1][2][3]。
1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端として大日本帝国と中華民国の間で支那事変(日中戦争)が始まる。1941年(昭和16年)12月8日午後11時40分、大日本帝国はアメリカ・イギリスに対して宣戦布告。当時の東條内閣(東條英機首相)は、1937年(昭和12年)より継続していた支那事変(日中戦争)を含んで「大東亜戦争と呼称す」と閣議決定をした[4]。
同日内閣情報局が示した見解で、「大東亜戦争」は戦域を指す名称ではなく「大東亜新秩序」の建設を意味するとされたように[5]、目的は、第2次近衛内閣(近衛文麿首相)以降の日本が掲げた大東亜共栄圏建設にあるとされた[6]。「太平洋戦争(Pacific war)」という呼称が「第二次世界大戦におけるアメリカ側の対日戦(第二次世界大戦における日本側の対米戦)」のみを意味する呼称であるのに対し、「大東亜戦争」は対米戦争である「太平洋戦争」だけでなく、東アジアを中心に南アジア、東南アジア、太平洋全体も戦場であった実態には合致している言葉である[2][7]。戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の連合国軍占領下の日本の期間に使用禁止され、「第二次世界大戦における太平洋での戦い」のみを本来は意味する「太平洋戦争」が代わりの言葉として強制的に使われるようになった。1952年のサンフランシスコ講和条約施行以降の連合国軍占領期後の日本では禁止措置の効力は無くなったものの、その意味で「太平洋戦争」を用いるケースが続いている[8]。
2024年現在、日本政府は「大東亜戦争」の表記は「現在一般に政府として公式文書で使用していない」としている[9]。また2006年の政府見解では、いかなる用語を用いるかは文脈によるものであり、「大東亜戦争」の用語が不適切かは、一概に回答できないとしている[10]。