浅草国技館
かつて浅草に存在した相撲の興行施設 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
浅草国技館(あさくさこくぎかん、旧字体:淺草國技館)は、東京府東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)にかつて存在した、相撲の興行のための施設。1912年(明治45年)に開館し[6][7][8]、両国国技館に対して「第二国技館」とも呼ばれた[13]。建物はのちに改装され、劇場「遊楽館」[9]、のちに「吾妻座」となったが[10]、1920年(大正9年)に焼失した[14][15]。本項では劇場時代についても併せて解説する。
概要 概要, 住所 ...
遊楽館時代(1915年頃) | |
概要 | |
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住所 | 日本 東京府東京市浅草区千束町二丁目5番地[1](現・東京都台東区浅草) |
経営者 | 山中龜太郎[2] |
種類 | 相撲興行場[3] |
座席の種類 | 桟敷[4] |
座席数 | 12,000人[4] |
建設 | |
建設 | 1911年[5][3] |
開業 | 1912年2月5日[6][7][8] |
改築 | 1913年(劇場「遊楽館」へ改装)[9][10][11] |
解体 | 1920年 |
使用期間 |
浅草国技館:1912年 - 1913年 遊楽館:1913年 - 1917年 吾妻座:1917年 - 1920年 |
建設費 |
160万円[12] (本館:25万円)[4] |
設計者 | 辰野葛西建築設計事務所[4][3] |
建設者 | 遠藤組[3] |
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