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コリン・コレス(Colin Kolles, 1967年12月30日 - )は、F1の元チーム監督・代表。歯科医でもある。ドイツ・インゴルシュタット出身。
コレス自身、または父ロムルス(Romulus)も歯科医であり、父はルーマニアの元大統領、ニコラエ・チャウシェスクの治療を手がけるほどであった。コレスは実家の歯科医でアシスタントとして働き、やがて自身も歯科医としての資格を取得した。2000年にコレスレーシング、TMEレーシングといった自身のチームを起こすと、次第にレースにのめり込みユーロF3などに参戦するほどになった。
こうした活躍が、ジョーダン・グランプリの買収を計画していたロシア人実業家アレックス・シュナイダーの目に留まり、2005年にはMF1レーシングのマネージングディレクターに抜擢された。2005年はまだ「ジョーダン」の名で参戦した。
2007年にスパイカーF1へ、さらに2008年にフォース・インディアとチームの買収が繰り返される中で、引き続きマネージングディレクターとチーム代表を務めていた。しかし、2008年11月8日に同チームの体制変更に伴い、チーム代表を解任されファクトリーでの任についていたが2009年10月31日にフォース・インディアを脱退することが発表された[1]。
2008年からコレスはユーロF3を戦うチームを立ち上げた。チーム名はコレス・アンド・ハインツ・ユニオンと呼ばれ、ニック・ハイドフェルドのマネジャーを務めていたベルナー・ハインツとの共同経営である。
2010年2月19日からはカンポス・グランプリにて、辞任した創設者のエイドリアン・カンポスの後任としてチーム代表に就任した[2]。チームは後に「ヒスパニア・レーシング・F1チーム(2011年よりHRT F1)」に名称変更し、体制発表会においても同チームの代表と発表された。
2011年12月15日に、同チームの代表から解任される事が発表された[3]。
2014年に入り2015年よりF1参入を目指す「フォルツァ・ロッサ」と深く関わっていることが明らかにされた[4]。
7月にケータハムF1チームのオーナーが変わった際、チーム売却に関するアドバイスをしており、新たに代表を務めることになったクリスチャン・アルバースらとともにその後のチーム運営についても関わりを持つ模様[5][6]。
その後、ケータハムは財政難で破綻し、フォルツァ・ロッサのF1参戦も承認されなかった。
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