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カルン・チャンドック

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カルン・チャンドック
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カルン・チャンドック英語Karun Chandhok ヒンディー語करून चंढोक タミル語கருண் சந்தோக் 1984年1月19日 - )は、インド国籍のレーシングドライバーGP2シリーズでは、オーシャン・レーシングテクノロジーチームから参戦した。ナレイン・カーティケヤンに続くインド人史上2人目のF1ドライバー。「カルーン・チャンドック」、「カルーン・チャンドホック」等とも呼ばれる。フジテレビF1中継でのニックネームは「走るマハラジャ」。

概要 カルン・チャンドック, 基本情報 ...
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概要

インド・モータースポーツ連盟の重鎮であるビッキー・チャンドックの息子としてマドラス(現・チェンナイ)に生まれる。フォースインディアビジェイ・マリヤはビッキーと同じ連盟関係者であり、懇意であることが知られている[1]。父の英才教育もあって6歳の頃からカートを始めイギリスに渡る。その後、ステップアップの為2000年にインドへ戻った。

経歴

要約
視点

初期の経歴

2000年からインド国内のフォーミュラマルティに参戦し、10戦全てのレースにおいてポールポジションファステストラップを記録し7勝を挙げた。また、地元のツーリングカー選手権にも参戦した。

2001年に東南アジア圏を転戦しフォーミュラアジアで8勝を記録し、史上最年少で同シリーズのチャンピオンに輝いた。この結果「最も期待されるアジア人ドライバー」と謳われ、イギリスF3カーリン・モータースポーツのテストを受け、2002年に再び渡英した。

ヨーロッパでの活動

2002年、TスポーツからイギリスF3・スカラシップクラスにデビューを果たし、2003年に24戦中19表彰台、内勝利が8回と好成績を残した結果、2004年に同チームからチャンピオンシップクラスに昇格したが、成績不振の為にシーズン半ばで離脱した。

2004年はワールドシリーズ・バイ・ニッサンシリーズにタタRCモータースポーツより4戦のスポット参戦をし、11ポイントを挙げた。チームメイトは同じインド人ドライバーのナレイン・カーティケヤンであった。

フォーミュラ・ルノー3.5

2005年にはフォーミュラ・ルノー3.5シリーズに5戦出場したが、ノーポイントに終わった。また、2005年から2006年のA1グランプリA1チーム インドとして参戦しアルマーン・エブラヒムとコンビを組んだが、これもノーポイントに終わった。

2006年にはその年から新たに開催されたフォーミュラ・V6・アジアに参戦。12戦中9回の表彰台、内優勝7回で同シリーズの初代チャンピオンに輝いた。

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2008年GP2のシルバーストンラウンド。iスポーツ・インターナショナルから出走した

GP2

2007年のGP2デュランゴチームから参戦した。前半戦はリタイアも多く、精彩を欠いたが後半戦から速さと安定感を見せ、ベルギーのスパ・フランコルシャンでGP2初勝利を飾った。トルコでもファステストラップを獲得するなどの活躍を見せたが、2位を走行していた中嶋一貴と衝突しリタイアとなった。この年はスパでの優勝を含め入賞は5回で16ポイントを獲得し、ランキングは15位となった。

2008年からiスポーツ・インターナショナルに移籍。GP2アジアシリーズとGP2メインシリーズの両方に参戦し、GP2アジアのラウンド2ドバイ・オートドロームでは3位表彰台を獲得した。しかし、その他の入賞は2回で完走率は半分の13位に終わった。GP2メインシリーズではドイツのホッケンハイムリンクで1勝を挙げた。入賞7回中優勝を含め3回の表彰台を獲得し31ポイントでランキングは10位。この年のチームメイトはブルーノ・セナであり、奇しくも2年後にヒスパニア・レーシング・F1チームで再びコンビを組んだ。尚、この年のセナは2勝を挙げ64ポイントでランキング2位だった。 この年のチャンドックは「ベストドライビングスタイル賞」が贈られた[2]

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2009年GP2のモナコラウンド

11月にはBRDCBritish Racing Drivers' Club)に招待された。同クラブのメンバーへの招待、メンバー資格の授与はインド人ドライバーとして初めての事となった[3]

2009年はオーシャンレーシングテクノロジーに移籍。イェルマー・バーマンに代わり,2008年から2009年のGP2アジアシリーズ最終戦バーレーンに参戦。レース1は9位、レース2ではリタイアとなった。 GP2メインシリーズでは、4回の入賞と1回の3位表彰台で10ポイントを獲得し18位に終わった。

F1

2010年

3月4日、HRTとの契約が発表され、ブルーノ・セナのチームメイトとして2010年のF1世界選手権に参戦した[4]

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2010年のオーストラリアGPにてF110を駆るチャンドック。14位で自身初の完走を果たした。

開幕戦バーレーンGPにはなんとかマシンが間に合ったものの、フリー走行の3回のセッションをマシントラブルの為に全く走ることができないまま予選を行った。決勝はマシントラブルにより1周でリタイアとなった。続くオーストラリアGPではトップから5周遅れながらもチームと自身にとって初となる完走を果たし、14位となった。

第3戦マレーシアGPでは、予選でチームメイトのセナよりも上回るラップタイムを記録し、決勝でもセナを上回り15位となった。

第4戦中国GPではマシンの重量配分のアップデートの為に改良型の燃料タンクを用いたマシンを投入した。結果こそチームメイトのセナに負けたものの、17位で完走を果たした。 第5戦スペインGPではリタイアを喫し、第6戦モナコGPでは終盤までロータスヤルノ・トゥルーリの前を先行していたが、71週目のラスカスでトゥルーリが仕掛けたオーバーテイクにより両ドライバーが接触しクラッシュした。このクラッシュではトゥルーリのマシンがチャンドックのマシンの上に乗り上げる形となり、国際映像でもチャンドックがコックピット内で頭を伏せて危険回避を行っている様子が世界中に放映された。幸い、チャンドックは無事であった(※:規定により14位完走扱い)。

第7戦トルコGPでは燃料系のトラブルに見舞われた為残り5周でレースを終えた。(※:規定により20位完走扱い。)その後も第10戦まで完走を続け、前半10戦中8回(内、完走扱い2回)の完走を果たした。又、7月10日にインドグランプリのサーキット建設に携わるJPSI(※:Jaypee Sports International ジャイピー・スポーツ・インターナショナル)と契約したことを発表。同グループの大使となった[5]ドイツGPでは、自身のスポンサーによるスポンサー料の未払いによりレギュラーシートを失い[6]、代わって山本左近が出走した[7]。その後は山本とクリスチャン・クリエンが最終戦まで出走したが、チャンドック自身は引き続きHRTに在籍した。

9月4日、「Circuit Run 2010」と題した韓国インターナショナルサーキットのデモ走行会に参加した。使用したマシンはレッドブルのショーカーで、タイヤは現行のスリックタイヤではなく溝が掘られたウェットタイヤを使用し、14周を走行した[8]

2011年

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イタリアGPフリー走行1回目でチーム・ロータスのマシンを駆るチャンドック

2011年3月22日、前年度より交渉していたチーム・ロータスのリザーブドライバーに就任[9]し、10回のグランプリに於いて金曜フリー走行1回目に出走した。ドイツGPではヤルノ・トゥルーリに代わってこの年唯一となるレースに出走することが出来たものの、この年初開催の地元インドGPのレースに出ることは叶わなかった。

その後の活動

2012年

この年に復活したスポーツカーの世界選手権であるWECにJRMレーシングからデビッド・ブラバム及びピーター・ダンブレックと共に参戦した。マシンはHPD ARX-03aを使用し、最高位は5位、ランキングは10位となった。

2013年

2013年はFIA GT選手権を引き継いだ新シリーズであるFIA GTシリーズen:Seyffarth Motorsportより参戦、シーズン途中でen:Vitaphone Racingに移籍。最高位4位、ランキング13位だった。その他ル・マン24時間耐久レースにMurphy PrototypesよりLMP2クラスで参戦。クラス7位だった。

2014年

2014年より新規開催されるフォーミュラEにおいてマヒンドラ・レーシング・フォーミュラEチームより参戦[10]。またもブルーノ・セナがチームメイトとなった。

2016年

ウィリアムズのヘリテージ・ドライバーに就任。イベントなどで同チームの過去のマシンの走行を担当する。

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レース戦績

要約
視点

フォーミュラ

イギリス・フォーミュラ3選手権

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ワールドシリーズ・バイ・ニッサン/フォーミュラ・ルノー3.5

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GP2シリーズ

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GP2アジアシリーズ
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(key)

F1世界選手権

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(key)

  • ≠ は、90%以上の周回をした為のF1レギュレーション上の完走扱いを示す。

フォーミュラE

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FIA 世界耐久選手権

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(key)

ル・マン24時間レース

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FIA GTシリーズ

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エピソード

参考文献

脚注

外部リンク

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