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イタリアの作曲家 ウィキペディアから
ニーノ・ロータ(Nino Rota, 1911年12月3日 - 1979年4月10日)は、イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍した。本人は「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は趣味にすぎない」と言っていたが[1]、映画音楽の分野で多大な業績を挙げており、死後クラシックの作品も注目を浴びるようになった。
北イタリアのミラノ出身。11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院[2]で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽学校に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻。
大学卒業後は音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。1951年、当時新進映画監督として注目を集めたフェデリコ・フェリーニと出会い、その後自身が亡くなるまで、フェリーニの映画音楽を数多く手がけることになった[1]。
フェリーニ監督以外の映画音楽も多数手がけ、1968年にはフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の音楽を担当した。同作品の「ワット・イズ・ア・ユース」はグレン・ウェストンが歌っている[3]。フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』の音楽はロータの代表作となり、「愛のテーマ」は多くの人々に親しまれた。
1975年と1976年の2回来日しており、1976年の来日時には、国内11か所で自作を取り上げたコンサートを開催し、自ら指揮棒も振った[4]。
67歳のとき心臓発作によりローマで死去。生涯結婚はしなかったが、娘が1人いる[5]。
南イタリアのモノーポリに音楽院を設立するため尽力し、1971年の開校時より院長を務めた。同音楽院は2004年に彼を記念して「ニーノ・ロータ音楽院 Conservatorio Nino Rota di Monopoli」に名称を改めている。
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