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ホーク(英語: Homing All the Way Killer, HAWK)は、アメリカ合衆国のレイセオン社が開発した地対空ミサイル。アメリカ軍での名称はMIM-23[1]。
ホークの開発は、セミアクティブ・レーダー・ホーミング誘導方式の中距離地対空ミサイルとして、1952年よりアメリカ陸軍にて着手された[1][2]。当初の呼称はSAM-A-18であり、1954年7月にノースロップ社がレーダー・火器管制装置・発射機の、レイセオン社がミサイルの開発業者として選定された[1][2]。
1956年6月には試作機であるXSAM-A-18を用いて初の誘導状態での試射が行われ、1957年7月に開発段階を終了した[1][2]。このころまでにはXSAM-A-18はXM3と称されるようになっていた[2]。1960年8月にはアメリカ陸軍で最初の運用部隊が編成され、基本型(M3)の初期作戦能力(IOC)が認定された[1]。また1963年には、三軍共通命名規則(MDS)の導入に伴い、XM3はXMIM-23A、M3はMIM-23Aと改称された[2]。
アメリカ陸軍はホークの配備を推進する一方で、1964年には低空目標への対処能力向上を主眼とした近代化改修として、HAWK/HIP(HAWK Improvement Program)計画を開始した[1]。これはミサイルを更新するとともに、地上側のレーダーや情報処理装置なども更新・強化するものであり、ミサイル本体はI-HAWK(Improved Hawk)、形式名はMIM-23Bとなった[1][2]。この形式は1971年に承認され、1978年までにアメリカ陸軍・海兵隊の全ての部隊のミサイルがこちらに更新された[1][2]。
HAWK/HIPに続いて、1973年より、アメリカ軍は次なる近代化改修として、HAWK-PIP(Product Improvement Program)計画を開始した[1]。PIP計画は3段階に分けて進められることになっており、最初のフェーズIは1981年にアメリカ軍に実戦配備された[1]。続くフェーズIIは1978年より開発開始され、アメリカ軍では1983年に装備化された[1]。フェーズIIIは1981年より開発開始され、アメリカ軍では1989年に装備化された[1]。
上記の通り、M3から改称された基本型がMIM-23A、改良ホーク(I-HAWK)の最初のモデルがMIM-23Bである[1][2]。MIM-23Bでは、弾頭重量は45 kgから54 kgへ増大、誘導装置を小型化するとともに、ロケットモーターも強力なものに変更された[1]。MIM-23AとMIM-23Bとを比べると、高高度目標に対する最大有効射程は32 kmから40 kmへと延伸、また単発撃破確率(SSKP)もおよそ0.56からおよそ0.85に向上したと見積もられた[1]。
アメリカ政府は1982年から1984年にかけてミサイル信頼性回復(Missile Reliability Restoration, MRR)計画を実施した[1]。これと並行して行われたECCM改善策が反映されたのがMIM-23CおよびMIM-23Eであった[1]。MIM-23Eでは最大射程は46 kmに延伸されたとも言われている[3]。これに続いて、高クラッター環境下での低空交戦性能の向上を図ったのがMIM-23Gで、1990年より導入された[1]。
アメリカ陸軍ではホークはパトリオットに更新されていったのに対し、海兵隊ではシステム規模の小ささを評価してホークの運用を継続していたこともあって、後にはミサイル防衛能力が付与されることになり、その用途にあわせた弾頭と信管が開発された[1]。これらを導入したのがMIM-23Kであり、また漸進的に信管のみを更新したのがMIM-23Lであった[2]。
なおMIM-23D/F/H/J/Mについては公式の情報が乏しいが、MIM-23Cの同等品として開発されたのがMIM-23Dで、これをもとに-23Eや-23G、-23Kや-23Lと同様の改善策を施したのが-23Dや-23H、-23Jや-23Mであると推測されている[2]。
基本型からPIPフェーズIIまで、システムにはパルス捕捉レーダー(PAR)とCW捕捉レーダー(CWAR)という2種類の捕捉レーダーに加えて、高出力イルミネーター(HPI)と測距レーダー(ROR)という合計4種類のレーダーが含まれていた[1]。
PAR(Pulse Acquisition Radar)は高・中高度、CWAR(CW Acquisition Radar)は低高度・高クラッター環境下での目標探知に用いられており、目標情報の相関を容易にするために、方位角方向は同期して用いられている[1]。PIPフェーズIでCWAR送信機の出力倍増と探知範囲拡大、PARへのデジタル式の移動目標指示(MTI)機能の追加が行われた[1]。
HPI(High-Power Illuminator)は自動追尾レーダーとして、目標の方位・俯仰角および距離変化率の情報を得るのに対し、ROR(Range Only Radar)は電子攻撃下でも目標の距離情報を得ることを目的としていた[1]。PIPフェーズIIで、HPIはソリッドステート化されて信頼性向上を図るとともに、電子攻撃下での運用に備えて光学式の追跡補助システム(TAS)が付加された[1]。一方、RORは削除された[1]。
これらのレーダーの機種はシステムの更新に伴って下表のように順次に変更されていった[2]。
システム構成 | PAR | CWAR | HPI | ROR |
---|---|---|---|---|
基本型 | AN/MPQ-35 | AN/MPQ-34 | AN/MPQ-33/39 | AN/MPQ-37 |
HIP | AN/MPQ-50 | AN/MPQ-48 | AN/MPQ-46 | AN/MPQ-51 |
PIPフェーズI | AN/MPQ-55 | |||
PIPフェーズII | AN/MPQ-57 | |||
PIPフェーズIII | AN/MPQ-62 | AN/MPQ-61 | (削除) |
またアメリカ海兵隊では、ミサイル防衛能力の付与に伴い、1991年よりAN/TPS-59早期警戒レーダーをホーク部隊と統合して運用する試験を行った[1]。この成果を踏まえて、1998年度より、ホーク部隊との連接に対応したAN/TPS-59の改修型の部隊配備が開始された[4]。
改善II型(PIPフェーズII)における標準的な高射中隊(battery)は、情報調整中枢(ICC)、中隊統制中枢(BCC)、パルス捕捉レーダー(PAR)、CW捕捉レーダー(CWAR)、測距レーダー(ROR)の中央統制のもと、2個射撃班(それぞれHPI 1基とM192 3連装発射機3基)から構成されていた[1]。
ICC(Information Co-ordination Central)は火器管制に関する情報処理、BCC(Battery Control Central)は交戦における戦術統制を担当した[1]。一方、改善III型(PIPフェーズIII)ではICCとBCCは中隊指揮装置(Battery Command Post, BCP)として統合された[1]。
PIPフェーズIIでは、中隊よりも小規模ながら自己完結した単位である強襲射撃小隊(Assault Fire Platoon, AFP)の編成にも対応した[1]。これは、レーダーは高射中隊と同様である一方、ICCとBCCのかわりに小隊指揮装置(Platoon Command Post, PCP)を有し、射撃班は編成せずにM192 3連装発射機3基を直接に統制するものであり、アメリカ陸軍は全ての高射中隊を解体してこの編成を導入した[1]。
なおPIPフェーズIではシステム内へ陸軍戦術データリンク(ATDL)通信システムが追加された[1]。またPIPフェーズIIで、電子防護のため、HPIおよびBCC、PCPに光学式の追跡補助システム(TAS)が付加された[1]。
ホークは可搬式のシステムであって、基本的には自走能力を有さない[1]。ただしアメリカ軍では、基本ホークを車載化したシステムを試作しており、M548 装軌貨物輸送車をベースとしたM727 3両で構成される設計であった[1]。このシステムはアメリカ軍で広く用いられることはなかったが、イスラエル軍で類似したシステムが配備されたといわれている[1]。
1959年には、ヨーロッパでのホークの共同生産について、北大西洋条約機構(NATO)の了解覚書(MoU)がアメリカ合衆国とフランス、イタリア、オランダ、ベルギー、西ドイツとの間で取り交わされた[1]。さらに、欧州で製造されたシステムをスペイン、ギリシャ、デンマークに納入するための特別無償援助協定、また米国で製造されたシステムを日本、イスラエル、スウェーデンに直接販売する協定がそれぞれ締結された[1]。
1974年には、拡大されたNATO HAWK生産・兵站機構(NHPLO)がレイセオン社との間で欧州における改良ホークのコンポーネントの共同生産契約を締結した[1]。また1977年には、日本も改良ホークの共同生産契約を締結した[1]。
イランにおいては、イラン・イラク戦争で消費し尽くしたAIM-54 フェニックスの代替として、ホークを空対空ミサイルに改造し、F-14戦闘機に搭載している。
日本では、第2次防衛力整備計画において、防空能力改善のため地対空ミサイルの導入が図られることになっていた[6]。1956年8月の防衛庁長官指示に基づいて、防空装備委員会が防空全般の長期的兵備構想の一環としてSAMを研究するとともに、陸上自衛隊に実験部隊を編成して、3自衛隊および技術研究本部の共同研究および実験に当たらせることとなった[7]。
1959年5月、防空装備委員会は「長期防空兵器体系に関する基本構想」をまとめ、報告した[7]。この報告では「自衛隊の装備するSAMは原則として航空自衛隊に所属するのが望ましい」と述べつつ、F-Xに加えて当時俎上に載せられていた3種類のSAM(ホークのほかナイキとボマーク)を同時あるいは相次いで導入することは後方支援組織等多くの困難があることを指摘し、完全な機動性をもつホークについては陸上自衛隊の所属とする可能性を残した[7]。統合幕僚会議ではこれを踏まえて更に研究したのち、同年7月に「SAMの導入、研究開発、部隊建設および指揮運用」についての方針を発表し、高高度・長距離SAMは航空自衛隊、低高度SAMは陸上自衛隊という原則が示された[6][7]。この後、特にナイキの所属について陸・空で激しい議論がかわされたが、1962年12月28日長発防1第317号をもって、ホーク部隊については陸上自衛隊の所属として決着した[6][注 3]。
陸上自衛隊では、1963年4月・5月の2回に分けてホーク運用の基幹要員をアメリカに集団留学させており、また同年7月14日には部隊の配置も決定され、最初の部隊は北海道に新編されることとなった[8]。1964年11月20日、最初に編成されるホーク大隊用の装備が北海道への配置を完了、翌1965年1月20日に初のホーク運用部隊として第102高射大隊が新編されるとともに、第302高射搬送通信隊と第102高射直接支援隊も編成を完結した[8]。以後、同大隊が基幹になる形で、高射砲を運用していた特科大隊のホーク運用部隊への改編や廃止が進められていき[8]、最終的に8個高射特科群が編成された[9]。なお国内では実射訓練を行える射場がないため、毎年ニューメキシコ州のマクレガー射場にて年次射撃を行っている[9]。
部隊編成と並行して、上記のようなホークの改良策の導入も進められており、1977年(昭和52年)度からは改良ホーク(初期型; HIP)、また1982年(昭和57年)度からは改良ホークの改善I型(PIPフェーズI)への換装が開始され[10]、1985年(昭和60年)度までに改良ホークへの移行を完了した[9]。更に1987年(昭和62年)からは改善II型(PIPフェーズII)、1991年(平成3年)度からは改善III型(PIPフェーズIII)へと順次に更新されていき、2003年(平成15年)度で改善III型への換装を完了した[10]。
陸上自衛隊では、改良ホークへの移行が完了した後には新型SAMの導入に踏み切ることを検討していたが、航空自衛隊がナイキの後継としてパトリオットの導入を決定したために[注 4]、同型SAMの導入を避けて、ホークの運用を継続していたという経緯があった[9]。その後、改良ホークの後継として03式中距離地対空誘導弾が国産開発され、平成15年度より取得が開始された[10]。
2024年度(令和6年度)予算においてホークの廃止が盛り込まれた[12]。
2024年(令和6年)3月現在、配備されている部隊は下記のとおり。
防衛大臣直轄部隊:高射学校(下志津駐屯地)隷属
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