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ミャンマーの政治家·現職の大統領、元軍人 ウィキペディアから
ミンスエ(ビルマ語: မြင့်ဆွေ、ALA-LC翻字法: Mraṅʻ' Chve、ビルマ語発音: [mjɪ̰n sʰwè]、慣用ラテン文字転写: Myint Swe、1951年6月24日 - )は、ミャンマーの政治家、軍人。同国大統領代行、第一副大統領。
ミンスエ မြင့်ဆွေ Myint Swe | |
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生年月日 | 1951年6月24日(73歳) |
出生地 | ビルマ連邦、マンダレー |
出身校 | ビルマ国軍士官学校 |
現職 | 大統領代行、第一副大統領 |
所属政党 | 連邦団結発展党 |
称号 | ミャンマー国軍中将 |
配偶者 | Khin Thet Htay |
内閣 | 国家行政評議会 |
在任期間 | 2021年2月1日 - 2024年7月22日 |
国家行政評議会議長 | ミン・アウン・フライン |
在任期間 | 2018年3月21日 - 2018年3月30日 |
国家顧問 | アウンサンスーチー |
内閣 |
ティンチョー内閣 ウィンミン内閣 (アウンサンスーチー政権) ミン・アウン・フライン暫定内閣 |
在任期間 | 2016年3月31日 - 現職 |
大統領 |
ティンチョー ウィンミン ミンスエ(兼務) ミン・アウン・フライン(代行) |
国家顧問 | アウンサンスーチー |
在任期間 | 2011年3月30日 - 2016年3月30日 |
大統領 | テイン・セイン |
2018年3月21日より同30日まで大統領代行を務める。2021年2月1日に発生した軍事クーデターによって身柄を拘束されたウィンミンに代わり、再び大統領代行を務めていたが、2024年7月22日に病気治療を理由にミン・アウン・フラインに大統領代行を移譲。
モン族出身。1971年にビルマ国軍士官学校を卒業後、ヤンゴン軍区11師団師団長、ヤンゴン軍区司令、ヤンゴン管区首相を歴任した[1]。
2012年には副大統領候補に選ばれたが、彼の義理の息子がオーストラリア市民権を持っていたことがわかり、立候補を却下された。なお、義理の息子はその後オーストラリア市民権を放棄し、ミャンマー国籍を取得したらしい[2]。
2016年3月15日、ティンチョーが大統領に選出された際、ミンスエは他の一人ヘンリーバンティオと共に副大統領に選出された。大統領が辞職、死亡した場合などに一時的に大統領代理となる。軍政期に長期独裁を担ったタンシュエとの関係が深いとされ、米国の経済制裁リストにも名前が載っている[3]。2018年3月21日から30日にかけて、ティンチョーの辞任に伴い暫定大統領に就任[4]。
2021年2月1日に国軍が企図したクーデターによりウィンミン大統領ら政府首脳が身柄を拘束され、軍出身で第一副大統領のミンスエが大統領代行に就任し、1年間の非常事態宣言を発令した(2021年ミャンマークーデター)[5]。
2024年7月18日、ミャンマーの国営メディアはミンスエが末梢神経障害に苦しみ、同年初頭から治療中と報じている[6]。同年7月22日に医療休暇を取得し、同日から大統領代行の職務をミン・アウン・フラインに委ねた[7]。
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