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日本の政治家 ウィキペディアから
堤 かなめ(つつみ かなめ、1960年10月27日 - )は、日本の政治家。文学修士(九州大学文修第1096号)[2]。立憲民主党所属の衆議院議員(1期)。旧姓は「吉田」[3]。2010年には参院選福岡選挙区に旧民主、社民推薦の無所属で出馬し落選したものの、2011年の県議選福岡市博多区で初当選し、県議会議員(3期)を務めた[4]。
福岡県太宰府市出身[5]。出生時の名前は「吉田要」。大野城市立大野南小学校、大野城市立大野中学校、福岡県立筑紫丘高等学校卒業[2]。1983年3月、九州大学文学部英語学英文学専攻卒業(文学士)。同年4月、国際電信電話(現・KDDI)に就職し、1988年4月に退職[2]。
同年5月から学び直しとして、1989年3月まで九州大学大学院文学研究科社会学専攻聴講生。同年4月から九州大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程に入学し、1991年3月に修士課程を修了。最終学歴は文学修士(九州大学文修第1096号)[2][6]。同年4月:九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程に進学したが、文学博士は取得せず1993年3月まで通った[2]。1990年の大学院生である30歳のとき、高校時代のバスケット部の1歳年下の後輩と結婚[7]。1993年4月に、九州国際大学講師となり、1998年4月に助教授、2001年4月に教授へ昇格[6]。1995年、スウェーデンのカロリンスカ研究所にて客員研究員。2002年、イギリスのサリー・ローハンプトン大学にて客員教授。2005年から2008年にかけて九州女子大学教授を務めた[7]。大学では主にジェンダー問題の専門家として研究に携わり[8]、1997年に虐待を受けた子どもや女性を支援するNPO法人「アジア女性センター」を設立。2000年4月にNPO法人「福岡ジェンダー研究所」を設立した[7]。
2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に、福岡県選挙区(当時の改選数2)から無所属(民主党・社民党推薦)で立候補するも落選[4]。4番目の得票数であった。
県議会議員 2011年4月の福岡県議会議員選挙に博多区選挙区(定数3)から民主党公認で立候補し初当選した[9]。2019年の県議選は旧立憲民主党公認で立候補し3選。
国会議員 2021年4月2日、立憲民主党が次期衆院選に向け、福岡5区に堤を擁立する方向で最終調整していることが報じられた[10]。4月17日に福岡県春日市で記者会見し、正式な出馬表明と共に、ジェンダー平等の実現を訴えた[8]。
10月13日、日本共産党は立憲民主党と競合する22の選挙区で候補者を取り下げる方針を発表[11]。福岡5区では前筑紫野市議会議員の古賀新悟の擁立を予定していたが、古賀は立候補を見送り、野党の候補者一本化が実現した[12]。社民党県連合も堤の推薦を決定した[13]。
同年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認・野党統一候補として立候補。5区では自民党県議や市町村議の約9割が支持していた、県農政連など有力な支援団体の推薦も広がっていた栗原渉を除籍を盾に同月16日に出馬を断念させ[14]、自民党公認として出馬した現職で77歳の原田義昭との一騎打ちを制し、61歳で初当選した[15][16][17]。原田は自民党の73歳定年制[18][19]で比例重複立候補は出来なかったため議席を失った[13][20]。福岡県は自民党公認候補4人が出馬したが、勝利したのは麻生太郎のみだった。福岡5区の原田義昭だけでなく、福岡9区の74歳の三原朝彦と福岡10区の73歳の山本幸三も自民党の73歳以上比例重複立候補禁止ルールで議席を失った。小選挙区で自民党公認候補に勝利した対立候補の年齢は、61歳、48歳、48歳であった[19]。
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