御宿町立御宿小学校
千葉県御宿町にある小学校 ウィキペディアから
千葉県御宿町にある小学校 ウィキペディアから
御宿町立御宿小学校(おんじゅくちょうりつ おんじゅくしょうがっこう)は、千葉県夷隅郡御宿町久保にある公立小学校。
御宿町立御宿小学校 | |
---|---|
北緯35度11分18.7秒 東経140度21分18.0秒 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 御宿町 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B112210007205 |
所在地 | 〒299-5102 |
千葉県夷隅郡御宿町久保2085番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五倫黌(ごりんこう)という別名を持つ[1]。
「元気に学ぶ」-体も頭も心も元気-
この節の加筆が望まれています。 |
概要
御宿小学校は「五倫黌」(ごりんこう)の別名を持つが、その由来は以下の通りである。
1902年(明治35年)9月28日、暴風雨(足尾台風)により、御宿小学校の校舎3棟が全て倒壊し、村内の各寺院を教室として授業を行うことになった[14]。当時の御宿村の財政では校舎の再建は不可能であったため、御宿小学校校長の伊藤鬼一郎[注釈 1]は、校舎再建費用を捻出するため、全村民に対して、1戸あたり毎日5厘ずつの日掛け貯金を呼びかけた。この貯金は全村民の協力のもと、1907年(明治40年)5月1日に正式に発足し、1912年(明治45年)5月1日からは1戸あたり1日1銭に値上げされた。この結果、1914年(大正3年)7月までに1万5000余円の貯金が集まり、共同貯金会の寄付金と合わせ3万余円となった。新校舎は1911年(明治44年)4月に起工し、1914年7月に落成した[16]。
佐倉連隊区司令官の黒田善治[注釈 2]は、御宿を訪れた際に、この「五厘講貯金」と呼ばれた貯金の話を知って感激した。黒田は後年、1930年(昭和5年)10月に伊藤元校長を訪問し、「五倫黌」と書かれた扁額を寄贈した。「五倫黌」は、「五厘講」と儒教の「五倫」、学校を意味する「黌」とをそれぞれかけたものである[18]。この扁額は校舎の玄関に掲げられていたが、1967年に校舎が全面改築された後は校長室に飾られている[19][1]。
御宿小学校では、児童会活動の中に「五倫委員会」があり、同校における望ましい児童の姿を表す言葉として「五倫の子」という表現がされている。また、御宿小学校のホームページは「ごりんのひろば」と命名されている[1]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.